おすもうさん

おすもうさん

おすもうさん

 このところ高橋秀実づいていて、よく読む。この人の、結論を急がずに人の話をゆっくり聞き、物事を安易に単純化しないスタンス、そしてとぼけたような書き方が気に入っている。
「おすもうさん」は2005年から2007年にかけてWeb草思に連載した記事がもとになっているという。朝青龍横綱としての品格、そして八百長が問題になった時期である。
 内容は、相撲部屋での普通の力士(というのも変だけど、幕内や十両以外の力士)へのインタビューや彼らの日常生活の描写、明治から昭和にかけて「国技」に仕立てられていく過程、戦後の疑似スポーツ化、行司さんや呼び出しさんへのインタビューから成り立っている。おれには、特に力士たちのかまえないインタビューが、彼らの生きている世界の空気感を感じられて特に面白かった。適当に抜き書きしてみよう。

――遠慮しているんですか?
 土俵脇にいた若猛に私はたずねた。
「わかんない、す」
――大丈夫?
「こわい、す」
 正面からぶつかるのが、こわいという。正面からぶつかるのが相撲だと思っていたが、実はそれが難関らしい。

「気がついたらここにいた、という感じなんです」
・・・
「中学二年のときに、産休で代わりの先生が来たんです。その先生が親方と知り合いで、どんどんどんどん勝手に事が進んで、自分から行動を起こす前にある程度のことは終わっちゃってるという感じだったんです」
 ――いやいや力士になったんですか?
「いや、そういうわけでもなくて、自分も“人生風まかせ、成り行きまかせ”、なるようになればいいや、と思いました」
・・・
 ――高校進学は考えなかったのですか?
「自分はおつむが悪いんで。成績もオール一ですから」

 ――それで今は頑張っているんですね?
 私がたずねると、大翔鶴はにっこりと微笑んだ。
「そう、す」
 ――横綱目指して……。
 私がそう続けると彼は苦笑いをし、まわりの若い衆もうつむいた。何か気に障ることでも言ったかと思っていると、青風(序二段東二十一枚目)がこう指摘した。
「そうやって一般の人は、簡単に『横綱目指してがんばって』とか言いますよね。軽々しく言うな、と思います。横綱になるってことは野球で言うとイチローになることくらい難しいんです」

「でも、一般のサラリーマンに比べると自分らは楽ですよ」
 ――どこが楽なんですか?
「だって、稽古は短期集中で、昼寝付きですから。自分は夜寝るより昼寝がすきなんです。昼寝は最高、す」
 ――相撲を辞めたいと思ったりしないんですか?
「しない、す」
 ――なぜ?
「だって途中で辞めたら、田舎の父親が恥かきますから。辞めるわけにはいきません」

 インタビューを読んでいて感じるのは、彼らが西洋的な競技スポーツとは全然別の世界に住んでいるということだ。親方の仕切る部屋で行事や呼び出しさんも含めて集団生活し、午前中に稽古して昼からはもっぱらごろごろしている彼らの世界は、競技スポーツというより、旅芸人一座に似ている……って、別に旅芸人一座で暮らしてみたことはないけど。
 一時期、大相撲の八百長が問題になった(今もかな)。ここから先はあくまでおれの想像だが、八百長にもいろいろあって、間を斡旋する者がいるものもあれば、自分が苦しいときに勝った相手への何となくの遠慮や気合い負けみたいなものもあるのだろう。そもそも大相撲を西洋的な枠組みでの競技スポーツと考えるから、八百長だ、真剣勝負だ、などというギスギスした話になるのだと思う。大相撲は西洋的な競技スポーツではなく、あくまで現代の空気に合わせるために競技スポーツを模しているもののようである。
 大正七年に出版された『お相撲さん物語』という本には八百長についてのこんな話が載っているという。

 若しそれを拒絶でもしようものならばそれこそ大變「あの男は眞實(まったく)任侠(おとこぎ)がない」と仲間から爪弾きされるばかりでなく、昔から頼まれて断つた時には却つて堅くなつて負けるものだといふ迷信があるので、大抵な者はそれに應じて仕舞ふ

 今の力士がこれと全く同じ感覚で生きているとは思わないが、普段呑気な集団生活を送り、本場所では巨体が正面から激突して土俵外へ転がり落ちる恐怖と戦っている彼らには、成文化された「競技規則」では割り切れない感覚があるのだろうと思う。
 八百長だ、許すまじ、などと中学校の学級会的な痩せぎすな了見で騒ぎ立てれば立てるほど、相撲は狭苦しく、つまらなくなる。相撲なんざ、目くじら立てるものではない。呑気に楽しめばいいものだと思うのだけどナァ。