興奮に駆られて行動する人々

からくり民主主義 (新潮文庫)

からくり民主主義 (新潮文庫)

 統一教会諫早湾干拓問題、オウム真理教上九一色村、沖縄の基地問題等々の現場を高橋秀実が訪ね、人々の声を集めた本。テレビのニュースショーなどで語られる単純な図式とは随分と異なった様相が、あちこちの現場に見られる。
 例えば、沖縄の基地問題の場合、「ごり押しする政府」対「反対する沖縄」という図式で語られがちだけれども、現地には基地の借地料を得られる地主も多い。彼らは反対運動が強まれば強まるほど、政府からの借地料の値上げが期待できるから、必ずしも反対派に反対しているわけでもない。また、地元的な付き合いで運動に顔を一応出したりもする。ややこしい。
 その手のややこしさが、こじれている問題には必ずある。また、こじれていると言っても、時にはずいぶんとのんびりした空気が流れていたりする。そういう微妙なこじれ方や微妙な空気が、テレビのニュースショーではたいがい切り落とされる。あるいは、ほんの一部の考え方や見方が誇張して伝えられる。
 例えば、こんな感じ。辺野古の監視小屋に交代で詰める老人たちを取材したときの話。

「小さな街が賛成、反対で分かれてしまって、辛いこと多くないですか?」
 私の取材中にTBS『ニュース23』の草野満代氏が入ってきて、かなしそうな顔でインタビュー。取材を続ける私に対して「シッ」と黙るように命令し、カチンときたが、老人たちは『ニュース23』を敬愛しており、前日とはうってかわって化粧などほどこし、気合いを入れていたので、私は身を引いた。
「いやぁ、挨拶してますよ」
「でも、はなさなくなったとか……」
「そんなことないですよぉ」
「老人会でも集まってきますよぉ。まあ席はちょっと離れて座りますけどね」
「昔、ものすごく仲良くしていたのに? 言いづらい雰囲気があるんですね」
「そうなんですよぉ」

 ニュース23が「基地の賛成・反対で二分されてしまったかわいそうな街」というストーリーを決めてかかっていて、それを裏付けるシーンを撮るよう取材をしているのは明らかである。かなしそうな顔をして。
 そして、その手の単純なストーリーをニュースショーなどで見て、「立ち上がらねば」と興奮してしまう人々が大勢いる。

 金武町と違い、こちらは地元住民が反対運動に参加している。そのせいか、監視小屋にはマスコミや観光バスが次々とやってくる。最盛期には一日三〇台もの観光バスが集落の狭い道路を走り抜け、「ヘリポートよりうるさい」と苦情が出たほどである。

 あるいは、諫早湾干拓問題。地元の運動家が環境問題を訴え始めると、それがニュースに乗って全国に広がった。その結果――。

 諫早の干潟には全国から環境保護団体が集まり、山下氏の一本しかない電話は鳴りっぱなし、「ムツゴロウが可哀想」と電話口で泣きじゃくる人までいたという。山下氏の活動とは別に彼らは「ムツゴロウを守れ」とバケツリレーで干潟に水を入れたり、詩をつくったりした。それに乗じて、久米宏が推進側を「バカゴロウ」と発言。政治家もあやかろうと、次々と「視察」にやってきた。民主党鳩山由紀夫は神妙な面持ちで「物言わぬ生物と人間の闘いが繰り広げられている」などとわけのわからぬことを言った。

 ニュースショーでは、現地の事情のこんがらがりや曖昧微妙な空気はしばしば無視され、単純な図式で語られる。視聴者は単純な図式でないと乗ってこないからだろう。そして、単純な図式に興奮した人々が「立ち上がり」、事態を引っかきまわして、飽きたら、あるいは他に興奮することが出てきたら、去ってしまう。

 あらためてヘリポート建設予定の辺野古の浜辺を歩いてみた。人影もなく、古く錆びた空き缶などが放置されており、決して美しい海ではない。上空をテレビ取材のヘリが飛び「あっ、ジュゴン。すごーい」と『ニュース23』の草野満代氏が叫んだりするが、地元でジュゴンを見た人などおらず、シラけるばかりである。
「汚い海ですよ。ここは採石場から流れる赤土やら生活廃水が垂れ流しですあらね。いまさら、突然、“海は宝”とか騒がれてもねえ……」(宮城実氏)
 基地がくるから海は守るべき「美しい自然」になった。

 当たり前のことだが、テレビのニュースショーで映されるものは、「事実」ではない。「ビデオ」である。