弱くても勝てます

「弱くても勝てます」―開成高校野球部のセオリー

「弱くても勝てます」―開成高校野球部のセオリー

 最近読んだ本の中では、ひさびさのヒット、というかホームランであった。
 内容はサブタイトルの通りで、超進学校として有名な開成高校野球部のセオリーについてである。
 開成はグラウンドが狭く、運動部で時間別にシェアしているため、硬式野球部がグランドで練習できるのは週1回。それも3時間ほど。それでも高校野球の東東京大会予選でベスト16入りしている。その勝ち方が豪快だ。

1回戦/開成10ー2都立科学技術高校(7回コールド)
2回戦/開成13ー3都立八丈高校(5回コールド)
3回戦/開成14ー3都立九段高校(7回コールド)
4回戦/開成9-5都立淵江高校
5回戦/開成3ー10国士舘高校(7回コールド)

 コールド勝ちの圧勝が多い。最後の試合はコールド負けだが。
 で、開成のセオリーだが、その頭脳を活かした計算に基づく超ID野球かというとそうではなくて、ひたすら打って、打って、打ちまくって相手を圧倒する、というものだ。それもバットを短く持って当てる、なんていうのではなく、ひたすらにビュンビュンビュンとバットを振り回して長打を狙い、相手がビビッたら、ますます図に乗って振り回す、という超攻撃的野球なのだ。バントはなし。サインもなし。データもなし。ついでに基礎体力もあまりなし。
 なぜなら、「エラーは開成の伝統」だからだ。高橋秀実が初めて見学に行ったときの衝撃。

 下手なのである。
 それも異常に。
 ゴロがくると、そのまま股の間を抜けていく。その後ろで球拾いをしている選手の股まで抜けていき、球は壁でようやく止まる。フライが上がると選手は球の軌跡をじっと見つめて構え、球が十分に近づいてから、驚いたように慌ててジャンプして後逸したりする。目測を誤っているというより、球を避けているかのよう。全体的に及び腰。走る姿も逃げ腰で、中には足がもつれそうな生徒もいる。そもそも彼らはキャッチボールでもエラーするので、遠くで眺めている私も危なくて気を抜けないのである。

 守備で1点を守りきるような野球はできない、だったらガンガン打ちにいけ、たまたま当たったら相手ピッチャーの動揺につけこめ、その結果、大量得点、バンザイバンザイというドシャメシャ野球らしい。

 素敵である。

 生徒達がまた魅力的である。彼らは頭が良すぎるのか、性分なのか、やたらと理屈っぽい。でもって理屈で考えた結果、特に何の成果も得られなかったりする。

――それで野球のほうは成果が上がっているんですか?
 あらためて私がたずねると、彼は真剣な面持ちでこう答えた。
「素振りはやっているんですが、球は前から来るもんですから」
――前から来る?
 当たり前すぎることで、私は一瞬何のことかわからなかった。
「球が前から来ると、素振りと違うんですよね」
 彼の抱える問題は、「球が前から来る」という野球の本質にかかわることだった。
――素振りとどう違うんですか?
 念のために確認すると、彼は首を傾げてこう言った。
「なんて言ったらいいんでしょうか。実際の野球は素振りと違うものだという認識が僕の中にできてしまっているんでしょうか」
 非常に難解な問題設定で、今度は私が頭を抱えた。

 彼らはまたいしいひさいちの描く忍者の集団か地底人のごとく、のんきである。

 唱和して全員ホームベースのほうへ走り、一列に整列して礼。戻りながらキャプテンの滝口君が「ハイハイハイハイハイハイ!」と声をかけ、他の部員たちも「いくぞいくぞいくぞ!」「出遅れるな!」「準備だぞ準備!」「さっさとやれよこのやろう!」などと声を張り上げた。気合いが入っているようだが、よく見ると発声もまた一仕事のようで、発声を終えた瞬間にまたのんびりしている。寸暇を惜しむようにのんびりする。考え事でもしているのだろうか。

 おれがこれまでに読んだ野球に関する本の中では、ハルバースタムの「男たちの大リーグ」、マイケル・ルイスの「マネーボール」に匹敵する面白さであった。考えてみれば、守備には目をつぶり、長打率の高さを狙う、というのはマネーボールで取り上げられたアスレチックスと同じ戦略であり、アスレチックスも開成高校も、レベルと戦う場は違えど、リソースが限られているという点では同じである。野球では、弱者は開き直ってガンガン長打を狙え、ということなのだろうか。野球のバランスというのは安定しているようで、あぶなっかしいようで、いつもながら不思議である。

 有名選手や特定チームではなく、野球というゲームが好きな方にはおすすめ。そして、おれは今時の進学校の高校生達をちょっと好きになった。