標語文化

 自転車でよく通る道の交差点の角に立て看があって、こんな標語が書かれている。

似合います 明るい服装 反射板

 知らない人(向こうもそうだろう)からいきなり「あなたには明るい服装が似合います」と言われても困ってしまう。おまけに、服装だけならまだしも「反射板」まで似合うと断言されてしまった。
 いったい何を言いたい標語なのだろうか。ちょっと考えてしまって今でも確信はないのだが、もしかすると自転車乗る人に向かって夜道に明るい服と反射板を促しているのだろうか。だとしたら「似合います」は別の話じゃないか。
 これに限らず標語というのはしばしば不可思議なものだが、そういうものを作って掲げることに何の違和感も持たず、むしろ積極的な意味を感じている人もいるのだろう。上記の標語だって、「おお、なかなかよくできたではないか」などと感心したりされたりしあったりする社会グループがあるのかもしれない。よく理解できないが。
 しかしまあ、標語というのはちょっと怖いところもある。「こういう態度が正しいのです」と提示する後ろには集団意識と権力のようなものが潜んでおり、おそらく標語集団の人々はそのことにあんまり気づいていない。「誘導」「空気の醸成」というやつですね。反射板の空気。