急流下りを止めるとどうなるのか

 昨日の続き。リオ会議におけるウルグアイのムヒカ大統領の演説について。

リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)

 ムヒカ大統領の言わんとしていることは、現代のグローバル資本主義は人々の消費の欲望を刺激することで成り立っており、発展途上国がそれに巻き込まれつつある。しかし、その方向に幸福はないし、このままでは資源と環境の面でも保たないだろう、ということだと思う。

 主張はわかるけれども、じゃあどうすればと考えると、おれは悲観的になる。

 現代の資本主義が人々の消費の欲望を刺激することで成り立っているのは確かである。多少なりとも商品サービス開発なりプロモーションなりに関わったことのある人なら、商品やサービスが他との差別化を図り、人に振り向いてもらおうという意図で開発されることを理解できると思う。すなわち、消費の欲望の刺激である。そして、「人に振り向いてもらう」点で、これまであまり対象になっていなかった発展途上国の人々も射程圏に入ってきている。そうした試みが膨大に積み重なって今日のグローバル資本主義は成り立っている。

 欲望を刺激し続けた先に何があるのか、と考えると、おれはちょっと怖い気になる。先の見えない急流下りをしている気分である。

 しかし、である。ムヒカ大統領はグローバル資本主義から抜け出すことを主張しているけど、そんなことできるのだろうか。

 グローバル資本主義の余得で、少なくとも今の日本は医療システムが整い、乳幼児の死亡率が非常に低くなっている。欲望少なく生きる、というのは言葉のうえでは美しく響くけれども、それと引き換えに子供が大勢早くに死んでしまう社会が幸福な社会と呼べるかは疑問である。また、欲望を抑えればそれだけ消費は減り、物は売れなくなり、多くの企業がつぶれるだろう。失業者が増え、その先にはおそらく多くの自殺者が出る。自殺者はまわりの人をも不幸にする。

 ムヒカ大統領は、マーケットをコントロールしろ、という。それはおそらく統制主義への道だろう。旧ソ連邦やかつての中国、北朝鮮、ナチズム、ファシズムのことを思い返せば、中長期的にはうまくいく方向ではないと思う。無気力や強制が待っている。あるいは、欲望を内面的に抑え込むには、強力な宗教の力でも借りるしかないかもしれない。

 柄にもなく大仰なことを書いた。自嘲的に、ヘイ・ジュードの歌詞。

And anytime you feel the pain, hey Jude, refrain
Don't carry the world upon your shoulders

苦しくなったらいつでも、なあ、ジュード、繰り返しなよ。
肩の上に世界を背負い込むことなんてないと。