水戸黄門と諸葛亮

 前回、あくまでおれなりの整理だが、統制主義、裁量主義、ルール主義について書いた(id:yinamoto:20120514)。
 統制主義というのは個人(独裁者)や特定の集団(党だったり、軍部だったり、官僚だったり)が社会の細々したところまで強権的に統制する形で、社会主義もナチズムもこれにあたる。当初はうまく行っても、人間の予測できることなんてたかが知れていることとか、統制される側のやる気がなかなか続かないこととかで、たいがいじり貧になるようである。
 裁量主義というのは特定の集団(政党や官僚)が社会のいちいちに裁量を効かせる形で、戦後日本の型は基本的にこれだったろうとおれは思っている。銀行の合併を大蔵省が誘導したり、通産省が特定の企業と結びついたりした(経済産業省になってからも本質的には変わらない気がするが)。裁量の範囲を広げるために「省令」なんていうのを拡大解釈でばんばん出していくわけである。
 水戸黄門は寓話として裁量主義をよく表している。政府高官である黄門様が漫遊して、行く土地土地で出会った人に己の裁量でよくしてやる。やっつけられるのはしばしば土地の代官だ。地方行政が中央行政によって正されるわけである。実に戦後日本的であって、裁量主義と全国一律信仰が水戸黄門の物語を生んだ……かどうか、映画なりテレビ番組なりの制作にあたってそういう回路が働くものかどうかおれにはわからないが、例えとしてはよく当てはまっている。
 ルール主義というのは政府がルールの設定にのみ関わって、個々の案件には首を突っ込まない形である。まあ、実際上はそうもいかないんだろうが、理念としてはそういうことだ。市場のルールは定めるが(財産権の保持とか、インサイダー取引はいかんとか)、市場取引のいちいちに首を突っ込まない、みたいなことだ。
 高島俊男の「三国志きらめく群像」によれば、有名な諸葛亮はこのタイプの政治家だったそうだ。すなわち、儒家、法家でいえば明らかに法家であって、「科教厳明、賞罰必信、悪として懲らさざる無く、善として顕さざる無し」(陳寿)、非常に厳しくて恐れられたが、法の適用が公正だったため、失脚することがなかったらしい。もっとも、そういう人ではお話として盛り上がらないから三国志演義では天才軍師ということにして、酷吏としての一面は描かれていない。なお、正史である三国志に対して三国志演義は千二百年も後に作られた創作物語であって、赤穂浪士の討ち入りに対する仮名手本忠臣蔵みたいなものである。人物の名前と何となくのポジションを借りているだけで、史実とは関係ない。
 お話としては裁量主義(水戸黄門的なもの)は人気が出るけれども、ルール主義は人気が出ない。裁量主義的な物語の人気が高いのは、特定の人や案件に対してお上がきちんと目配りしてくれているという形が快く見えるからだろう。悪い言い方をすれば、甘えが許されることの快さとも言える。もちろん、現実の社会において裁量主義が効率的かどうかはまた別の問題である。物語としては裁量主義のほうが好まれるから、もし酷吏である諸葛亮が代官を務める土地に黄門様が行ったら、諸葛亮はやっつけられるだろう。すなわち、水戸黄門のほうが集団的無意識のなかでは諸葛亮より強いのである。たぶん。おそらく。知らんけど。

三国志 きらめく群像 (ちくま文庫)

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