北斎と抽象

 土日に京都へ行った。なかなか発見の多い小旅行だった。いくつか書きたいことがあるのだが、今日はとりあえず北斎について。
 京都文化博物館というところでホノルル美術館の北斎展をやっていて、時間があったのでのぞいてみた。
 おれは北斎が好きで好きでたまらないというほどではないのだけれども、やはり見ると圧倒されるものがある。画力、構成力、そして執念のようなものがからみあって迫ってくる感じだ。
 北斎の絵は非常に構成的で、幾何学的な図形の組み合わさっているものが多い。特に晩年の作品(といったって、北斎先生は長生きだから晩年だけで二、三十年あるけれど)で顕著だ。北斎の絵の力強さ、印象の強さは幾何的な構図によるところが大きいと思う。


 北斎は船や大工仕事のような人工物を好んで描くけれども、それは人工物が幾何的な形を表すには好都合だったからかもしれない。あるいは、パーツの組み合わさる感じが好きだったのか。
 有名な「冨嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」は注意して見ると、いくつもの渦が組み合わさっている。

 次の絵なんぞ抽象画へあと一歩である。

 おれは絵について通り一遍の知識しかないけれど、十九世紀から二十世紀初めにかけて西洋画最大の発見のひとつは「絵というのは現実を写し取るものではなくて、結局は色、形、素材感の組み合わせである」ということだったんじゃないかと思っている。印象派の人々がそのことに気づいて具象の分解の準備運動をし、その後の世代で確信から確信犯となり、色、形、素材感の組み合わせの仕方が画家によっていろいろになった、とまあ、そう単純に全てを整理はできないが、それがひとつの流れではあったろうとは思う。
 北斎は1820〜1830年頃にすでにそれをやっている。どこから着想を得たのだろうか。人工物を好んで描くうちに幾何学的魅力に気づいたのかもしれないし、木版画というパーツの組み合わせから成り立つ、しかも色面がたいていベタ塗りになる表現形式が影響したのかもしれない。あるいは、琳派に代表されるような絵と図案の組み合わさったような感覚も、北斎先生は琳派と直接の関係はなさそうだけど、遠くのほうから作用したのかもしれない。

 これは琳派の代表、尾形光琳の「紅白梅図屏風(白梅図)」。

 しかし、尾形光琳のこの紅白梅図屏風が絵画と図案の中間、あるいは図案寄りであるのに対して、北斎のそれは西洋近代的な意味での絵画である。尾形光琳の姿が絵とは少し距離を置いたところにあって、茶をすすって訪問者と談笑でもしていそうなのに対して、北斎の絵からは北斎の口の臭いすらしそうである。「お・れ・は!」という個人の我(が)が絵のはしばしから放たれている。

 北斎の絵を見ていると、セザンヌに似ていると思う。具象の中に強い形を織り込み、具象の解体寸前まで行きながら、でも抽象までは行かなかった。逆に具象で踏みとどまっているところが絵の魅力になっている。そういえば、ふたりとも偏屈そうなところも似ている。北斎セザンヌでは時代も住んでいた国も違うが、もし出会ったらどんなふうになったろう。惹かれ合ったかもしれないし、お互い偏屈だから「フン」と鼻を鳴らしながら、でも妙に気になり合ったような気もする。
 とりとめなくなった。今日はこれまで。