病気の貴賤

 おれは生来胃腸が弱く、これは人生においてなかなかのハンデではないかと思っている。母親の胎内から出てきたときには「お腹痛いッス」と訴えようと泣き叫んでみたのだが、ただの元気な赤ちゃんと思われて終わってしまった。以来、おれは腹をさすりながら生き、最後はお腹が痛いヨーと泣きながら死んでいくのであろう。

 そんなこんなで思うのだが、病気には貴賤があるんじゃないかと思う。少なくとも小説映画方面では明らかに扱いが違う。

 例えば、肺結核というのは美しく描かれる。あれは痩せ、顔が透き通るように白くなり、しかもかなりの段階まで意識が比較的はっきりしている。病状が進むと喀血をするが、白い顔に赤い血という取り合わせも、描きようによっては美しい。薄幸のイメージをつくるにはうってつけの病気である。新撰組沖田総司は大立ち回りの後にごほっ、ごほっと血を吐くから悲壮に見え、夭折の天才剣士として美しく散ることができるわけである。あれが派手に切り結んだ後に、ぶりぶりぶりと(以下、略)

 若死にといえば、ガンという設定も多い。特に、余命の短い美女はよく白血病になる。あれも外見は美しく描ける。「サトシくん、わたしね……」などと語って見る者の涙を絞れるのも白血病だからなのであって、胃腸病で、「サトシくん、わたしね……アタタタタ」と下腹の左側を押さえるようではどうも雰囲気が出ない。

 以上、いささかの悔し紛れで書いてみた。まあ、実際にはどの病気も苦しいことに変わりはなく、ただその苦しみのありようが違うだけである。あたたたた。