横断歩道の渡り方

 歩道がなくて代わりに白いラインが引いてあって、でもそこそこ広い道路というのがありますね。最近、そういう道路の横断歩道で、赤信号だがクルマが来ていないときに人がどういう行動を取るか、折に触れて観察している。

 道にもよるのだが、クルマが来なくても待つ人が多い。しかし、面白いのは、誰かが渡り始めると追随する人が結構いることだ。いや、人とは関係なく、道路状況を自分で判断しているケースもあるかもしれないが、ワンテンポ遅いタイミングで渡り始めると追随しているように見えてしまう。

 誰も渡り始めないと、人がたまる。誰かがイライラするのか、左右を見て渡り始めると、後についていく人がわらわらと出てくる。この案配を観察するのがなかなかに面白い。

 ああいう誰かが渡り始めると追随するというのは、よく言われる日本人の、流れに従うとか、空気を読むとかいう心の傾きによるものなのだろうか。それとも、ある程度人間に普遍的な心理なのか。自分が赤信号を渡るかどうかというときの心理を顧みてみると、渡ろうと判断するとき、人目を気にしているような気はする。人目を気にするということは、つまりは流れに従うとか、空気を読むということなのだろう。ちょっと話は飛ぶけれども、この震災の間にいろいろな人やいろいろなことがバッシングされたけれども、それも流れに従っていないもの、空気を読まないものに対する一種の不快感が根っこにあるような気がする。

 しかしまあ、流れに従う、空気を読むと言っても、みんながみんなそうであるわけではなくて、たとえば、赤信号にしてもまわりの態度とは関係なくさっさと渡ってしまう人もいれば、みんなが渡っても赤信号の前でずっと止まっている人もいる(わたしはそういう人が結構好きだ)。こういうのは傾向とか比率の話であって、あまり単純化しすぎるのもよくない。

 赤信号を前にしたとき、どういう態度をとるか。国際比較をしてみると面白いと思う。何となく、フランス人とかは各人勝手にぱっぱと渡る気がするなあ。ハノイの人なんかはクルマが来たって渡りそうだ。まあ、生まれ育って以来の交通環境の関係もあるんだろうけど。