不安と想像力

 地震以来、折々にtwitterを見ているのだが、書き込みの傾向が時間の経過によって変化してきているようだ。地震直後は被害に関する直接的な情報が多かったが、数日経つと、不安感や怒り、高揚感を感じさせるものが増えた。不安感と怒りについては原発の事故のせいもあったろうし、地震直後の錯綜した状況が少し整理されてきたせいもあるかもしれない。最近は、書き込まれる内容もだんだんと落ち着いてきて、地震関連以外のものも増えてきた。

 見ていて思ったのだが、不安は想像力から生まれる。限られた情報から「こうなったらどうしよう」、「ああなったらそうなってこうなって、それからわたしはどうなるんだ?」と想像が働き、不安がどんどんふくらんでいくことが結構多いようだ。今回の政府は、今までに比べれば割に情報を把握して(少なくとも把握しようとして)きちんと公開しているほうだと思うが、それでも、一度憶測を始めれば、「何か隠してるんじゃないか」とか、「アメリカは自国民に避難を命じたらしい。本当は状況はもっと悪いのだ」とか、いろいろ疑える。この手の憶測は検証しようがないから始末に負えない。

 格好良くいえば、想像力が人を苦しめる、のである。想像力は工作機械のようなもので、いろいろとよい働きもするが、暴走したり、悪い素材を下手な操作で加工したりすると、ろくでもないものができあがる。核反応と同じで、連鎖してしまうこともある。不安状態になっている心理がさらに不安を呼ぶ、という形だ。

 不安の連鎖が起こりそうになったら、テレビやtwitterはあまり見ないほうがよいと思う。全然見ないのもあれだが、まあ、日に何度か見るくらいでも状況は十分につかめる。

 わたしはというと、何だか妙に楽観的である。東北の被災した人々の映像を見ると心が痛む。一方で、東京の状況については、いろいろと不便なことが多いし、経済方面もこれから問題が表面化してくると思うが、まあ、どうにかなるだろうと思っている。不安は覚えない。わたしがこれまでに本当に悲惨な目にあったことがないせいもあるだろうし(情けない思いは日常的にしているが)、物事を引いて見る癖があるからかもしれない。物事は近づいて見ると悲劇になるが、引いて見ると喜劇になる。今の東京は喜劇とまでは言い難いが、引いて見てみると面白い部分もある。

 まあ、根本的に人間が馬鹿なのだろう。こういうとき、馬鹿であることは便利である。