災害報道

 地震以来、折にふれてテレビを見る。普段は1ヶ月に30秒くらいしかテレビを見ないときもあるから、視聴時間は通常の1000倍〜2000倍という高い濃度である。

 見ていて、総じてNHKは災害時の放送の訓練がよくできていると感じた。アナウンサーの落ち着き、冷静な声のトーンもそうだし、解説者や現地の記者への内容の確認、仕切りもしっかりしている。画像とは別の情報を伝えるテロップ(被災者の数や余震、停電、電車の運行など)も、情報が相当錯綜しているだろうに、大きなミスなく入っているようだ。おそらく、災害時に備えた日常的な訓練、リハーサルが行われているのだろう。

 民放はあまり見ていないが、ちらちらと見た範囲では、これはどうかと思うようなものもあった(どの放送局がどう、というところまではわからない)。

 深刻そうな声のナレーターが感情を込めて語るようなビデオがあった(昔のニュースステーションでよくやっていたようなやつ)。ただでさえ視聴者が不安感を覚えているときに、これはいかんだろう、と正直、怒りすら覚えた。

 報道センターと呼ぶのだろうか、後ろで記者達がわさわさ動いているところにわざわざカメラを持っていって、その前でアナウンサーが伝える、という形式もあった。事態の切迫感を伝えたいという意図なのだろうが、そんなことをしなくても事態の切迫については誰もがわかっている。なるべく冷静な判断の求められる災害時に焦燥感をあおるので、ああいうのはよくないと思う。災害時の報道のセットは建て込みをバックにした普通のセットでよい。というより、普通のセットでなければならないと思う。

 アナウンサーやレポーターが興奮しているケースもあった。大変な事態を目にしたときに、アナウンサーや現地のレポーターが感情を揺さぶられるのはわかる。しかし、その興奮をそのまま伝えるのもどうかと思う。アナウンサーやレポーターが感情を統御できないのは問題だろう。これも日頃の訓練によるのかもしれない。

 解説者、コメンテーターとキャスターが延々事態について話している、というものもあった。入っている情報を一通り伝えてしまって間が保たなくなってしまったのかもしれない。しかし、情報が少なければ少ないで、それを繰り返し伝えるほうがよいと思う。視聴者はどこからテレビを見始めるかわからないし、決定的な知識と結論を持たないコメンテーターとキャスターの井戸端話は、これまた見ている者の不安感を与えることになりかねないからだ。

 報道に演出は避けられないが(NHKのアナウンサーの冷静な声のトーンだって、考えようによっては演出である)、その演出がもたらす結果をよく考えるべきなのだろう。災害時にもし不謹慎というものがあるとしたら、不安感や焦燥感を無用にあおるテレビ局の「受けたい」「感情を揺り動かしたい」という意図の演出がそうだと思う。