商店街の活気

 東京の武蔵小山というところに引っ越した。

 武蔵小山は私鉄沿線の駅で、アーケードの商店街がある。端から端までゆっくり歩くと10分くらいかかりそうな長い商店街で、随分と賑わっている。

 アーケード型の商店街については、全国的にいわゆるシャッター商店街と化しているところが多いらしい。たとえば、私の実家のある富山市の中心街の商店街も、今歩くとそのさびれようは一種の情緒の域まで達している。浅草の商店街なんかも、人通りは結構あるが、それぞれの店にはあまり人が入っていないように見受けられる。しかし、武蔵小山の商店街についてはそれぞれの店がちゃんと客を集めているようである。

 商店街が廃れる理由には、郊外型の大型店に客を奪われたとか、人の流れが変わったとか、あるいは全体に古くさくなって買い物が楽しくなくなったとか、いろいろな理由があるのだろう。武蔵小山駅はターミナル駅でも乗換駅でもなく、格別地の利がいいとも思えないのだが、商店街は全体に活気があり、歩いているだけで楽しい感じである。古い店と新しい店が混じっていて、新陳代謝も結構あるようだ。

 商店街には、店がいくつか閉まると活気が損なわれ、その活気のなさが死病のように全体に広がってしまうことがありそうだ。逆に、生命力の強い商店街は、活性化している細胞のようなもので、ある店が閉まってもすぐに別の新しい店が入って、生命活動が高いレベルで存続するようである。

 活気のあるところには人が集まって活気が高まる、という単純な感想しか書けず、寂れて困っている商店街が活気を取り戻す方法も皆目見当がつかないが、人の行動の集散、活気というものは面白いと思う。また、それは計算だけでどうにかできるものもない気がする。