理論と現実(フランス革命とナポレオン)

 ナイジェル・ニコルソン著「ナポレオン一八一二年」を読んだ。

ナポレオン1812年 (中公文庫)

ナポレオン1812年 (中公文庫)

 1812年のナポレオンのロシア遠征についての記録や体験記などを元にまとめた本で、いろいろと面白いところもあるのだが、それについては書かない。読みながら、高校時代の世界史のH先生について思い出した。

 H先生については以前にこのブログで何度か書いたことがある。わたしはH先生から3年間世界史を教わって、ある意味、高校時代に最も影響を受けた先生とも言える。影響を受けたと言っても、傾倒したわけではなくて、むしろその反対に近い。

 H先生はマルクス主義の徒で、80年代前半の高校教師にはまだそういう人がいた。世界史の初めを原始共産制から説き起こし、世界史を「民衆」「階級」という軸で田舎の高校生に3年間教えるということをやった。受験指導にも定評のある人だったが、一方でフランス革命を特別授業の形でみっちり教えるということもやった。「フランス革命私有財産を認めたところが残念ですねえ」などと言っていた。

 そういう人に教わるとマルクス主義の徒になるかというと、まあ、十代というのは、熱き血潮の、観念的な事柄に傾きがちな年代であるから中にはそういうやつもいたかもしれないが、少なくともわたしはそうではなかった。むしろ、マルクス主義という理屈が先にありきで、それに歴史を合わせていくというやり方を胡乱に感じた。

 H先生は、私有財産については残念だったようだが、フランス革命自体は高く評価していた。王政に対して民衆が立ち上がったというあたりがよかったのだろう。H先生からすると、ナポレオンは革命の熱気を利用して皇帝にまでのしあがり、フランス革命の成果を台無しにした悪人だった。

 しかし、と、今回、本を読みながら思った。ロシア遠征はナポレオンの没落の始まりで1812年である。フランス革命が始まったとされるのは1789年で、ナポレオンのクーデターが1799年だ。1812年当時にたとえば30歳のフランス人なら、十代の頃に革命の空気を体験しているはずだろう。当時のフランス人(H先生流に言うなら「民衆」)は、もちろん人により相違や濃淡はあるとしても、ロシア遠征の頃まで多数派としてはナポレオンを支持していたようである。このことをH先生ならどう説明するのだろう。「ナポレオンが巧妙にたぶらかした」「ナポレオンにだまされた」などと簡単に片付けられるものだろうか。それとも、「民衆の蒙昧」ということになるのだろうか。少なくとも、ブルジョワジーの支持にのっかったナポレオンが農民・労働者階級を押さえつけて強権的に侵略戦争に従わせた、などと単純化しては語れないように思う。そこには皇帝に対する大小さまざまな支持があったんじゃないかと想像する。そこのところの機微を知るのが歴史の面白さではないかとも思う。

 理屈というのは便利な者だし、理屈がなければ物事を整理する形で理解できないだろう。しかし、特定の理屈を盲目的に信頼しすぎると、どうもいろいろと齟齬が出るし、ねじ曲げみたいなことも起こりやすいように思う。

 ロシア遠征当時のフランス軍の兵士、あるいは彼らの帰りを待つ人々はそれぞれ、ナポレオンを、あるいはフランス革命の過ぎ去ったあれこれをどういうふうに感じていたのだろうか。それはパンの値段に対する感想とどう関係していたのだろうか。ちょっと知ってみたい気がするし、理屈だけではわからないことがあるようにも思う。

(ところで毎度思うのだが、「民衆」「人民」て誰のことなのだろうか。そういうくくりはちょっと雑にすぎるんじゃなかろうか)