yagianがブログにジョン・レノンについて書いていた。
→ 山の手の日常 - 前衛芸術家、革命家としてのジョン・レノン
彼の言う通りで、ジョン・レノンは、歌を使ってと言うと語弊があるが、少なくとも歌と一体化させる形でラディカルな主張を行った。歌詞の英語の内容を知ると、諸手を挙げて賛成とは言えない歌がおれにはある。
このところ、ピンク・フロイドをよく聞いている。ピンク・フロイドでは、リーダー格(というか、強引にリーダーになったというか)のロジャー・ウォーターズが社会主義者で、脱退するまではほとんどの歌詞を彼が書いていた。政治的内容の歌詞も多い。
鬼山拳さんが書いているが、ビートルズとピンク・フロイドの各メンバーの役回りはよく似ている。
→ モーレツ・パンチ - フランク・フリップ - ピンク・フロイド
対照させるとこんな具合だ。
ジョン・レノン ロジャー・ウォーターズ
ポール・マッカートニー デイブ・ギルモア
ジョージ・ハリスン リック・ライト
リンゴ・スター ニック・メイソン
後ろ半分の4人の立ち位置や本人の心持ちにも興味を引かれるのだが、しかし、バンドとしての鍵を握るのはやはり前半分の4人である。
ジョン・レノンとロジャー・ウォーターズは作曲能力や音楽的構成力ももちろん高いのだが、作る歌の言葉によるメッセージ性がとても重要で、それ抜きに評価はできない。
一方の組み合わせのポール・マッカートニーとデイブ・ギルモアは音楽主義的というか、歌詞の意味内容にあまり重きを置いていない感じがする。ポール・マッカートニーの作る歌詞はありふれたものが多い。デイブ・ギルモアは歌詞を作るのが苦手らしく、ロジャー・ウォーターズがいた頃は歌詞をほとんど全て任せていた。その代わり、というと変だが、ポール・マッカートニーもデイブ・ギルモアも、メロディ、ハーモニー、リズム、トーンといった音楽的センスと、演奏能力は高く、おそらくそこだけ取り出したらジョン・レノンとロジャー・ウォーターズはかなわないんじゃないかと思う。それに、ポール・マッカートニーの歌声と、デイブ・ギルモアのギター、歌声はとても音楽的に「美味しい」のだ。
いささか乱暴にくくると、ジョン・レノン、ロジャー・ウォーターズのメッセージ主義と、ポール・マッカートニー、デイブ・ギルモアの音楽主義がよい緊張と高め合い的な協力関係を作っているとき、バンドはうまく回り、ビートルズとピンク・フロイドを特別な存在にしたんじゃないかと思う。しかし、協力できる部分をやり尽くしてしまったり、人間的な齟齬が大きくなりすぎると(もうあいつとはやってらんねー、飯を一緒に食えねー、みたいな感じ)、解散するか、一方が脱退するかしかなくなったんじゃないかと思う。
言葉によるメッセージと、メロディ、コード、リズム、トーンに代表される純音楽の関係というのはなかなかに微妙で、もちろん歌としては一体化するのだが、融合するというより結びつくような感じがある。ポール・マッカートニーとデイブ・ギルモアは純音楽の才に恵まれたが、メッセージの才にはさほど恵まれていないように思う。一方で、ジョン・レノンとロジャー・ウォーターズはその逆で、純音楽の点ではポール・マッカートニーとデイブ・ギルモアにはかなわなさそうだ(たとえば、ロジャー・ウォーターズの声はあまり「美味しい」ものではない)。ビートルズとピンク・フロイドのただならぬ感じは、その両者の結びつきがあったからこそのものなのだろう。
(書いてみたら、いろんな人が言っているありきたりの内容になってしまった)