ありふれた言葉の響き

 読んでいないのでアレなんだが、今年発売された小説のタイトルで一番インパクトがあったのは、「桐島、部活やめるってよ」だったのではないか。タイトルから想像するに、桐島という高校生が部活をやめるという噂が高校生の間でいろいろと波紋を呼ぶ、と、そういう内容なんだろうと思う。大げさに言えば、「そういうタイトルもありなのか。ガーン」という衝撃があった。
 作者にはぜひこの後、「桐島、高校やめるってよ」、「桐島、コンビニやめるってよ」、「桐島、ガソリンスタンドやめるってよ」、「桐島、料理教室やめるってよ」、「桐島、交通量調査やめるってよ」、「桐島、ホストクラブやめるってよ」、と「桐島、やめるってよ」シリーズを続けていただきたい。仕事や自分の生き方を探してはやめるという、シリーズを通して読むと一種の大河ドラマ、桐島やめるってよサーガとでも呼べるものを構成できるのではないかと思う。さらには、「桐島、バーテンやめるってよ」、「桐島、マネージャーやめるってよ」、「桐島、組織やめるってよ」、「桐島、人間やめるってよ」、「桐島、更生施設やめるってよ」、「桐島、お寺やめるってよ」、と続けば、夜の世界→暴力団覚醒剤中毒→更生(の試み)→出家、となかなかにドラマチックな展開を期待できる。
 それはともかく、「桐島、部活やめるってよ」のインパクトの秘密がタイトルにあるのは確かである。小説のタイトルというと、「悪霊」みたいに漢字二文字でおどかしにかかるとか、「アナザー・ナントカ」みたいに英語(というか外来語)で日本の土着世界から離れようとかかるとか、いわゆる異化効果にたよるものが多い。あるいは、「○○と○○」のように、そっけいないというか、異化効果もなんだかあざとくてなあ、という何だろうと思わせながらも抑え気味のものもある。しかし、これまで、「桐島、部活やめるってよ」という高校生の日常会話のようなものはあまりなかったのではないか。普通っぽさが一周回ってかえって意外なふうに響くとも言えるかもしれない。
 ありふれた言葉も別の場所に置くと、意外な輝きを帯びるということなのかもしれない。あるアメリカ人の女性によると、彼女が一番美しい響きを感じる日本語の言葉は「右に曲がります」だそうである。