疫病転換

 先日ふれた速水融先生(文章を読むと先生と付けたくなるお人柄がにじみ出ている)の「歴史人口学で見た日本」(文春新書)によると江戸時代の江戸、京・大阪といった大都市圏の死亡率は非常に高かったらしい。人が流入するにもかかわらず人口がほとんど変わっておらず、ということは、それだけ疫病で人が亡くなったことを意味するようだ。速水先生は都市が田舎から人を吸い込んでは死なせるという意味で、「都市アリ地獄説」と呼んでいる。
 特に商家への奉公人の場合、狭いところに大勢が住み込みで暮らすので、伝染病に罹る率も高かったようだ。衛生の問題もあるし、狭いところで人が顔を付き合わせていればストレスも相当高かったはずだ。また、江戸時代のいろいろな記録を読むと、特に病気への抵抗力が弱い子供がしばしば死んでいる(夫婦が五、六人子供を作っても三分の一から半分くらいは亡くなっている印象がある)。都市部での死、特に疫病による死は今よりはるかに身近なもので、神信心が今よりはるかに強かったのも、死の多さと無関係ではないだろうと思う。
 狭い地域に個体が密集すれば伝染病の広がるスピードが幾何級数的に高まることは、最近の家畜の伝染病被害を見ればわかる。都市が一定の限度を超えて巨大化するには、医療と衛生設備による伝染病の制圧が一つの条件のようだ。疫病が制圧されて死亡率が低下することを疫病転換と呼ぶ。
 学校の歴史の授業では18世紀のイギリスで始まった産業革命については学ぶけれども、19世紀のパスツールやコッホによる細菌学確立によってもたらされた革命と疫病転換についてはあまり学ばない。しかし、死亡率を下げ、都市に人が集中する環境を作り出し、今日の社会の形を作り出したという点で、医学と公衆衛生の革命は非常に大きなものだったと言えそうだ(疫病革命とでも呼ぶべきか)。もしかすると、社会構造のうえでは、産業革命に並ぶかそれ以上の意味があるのではないか。
 おれは、社会政策として重要なのは乳幼児の死亡率の低下と自殺率の低下だと思っている。このふたつを実現している社会は、満点ではなくともそこそこの幸せを意味しうるだろう。日本は明治期以降、疫病転換を成し遂げて、前者は実現した。江戸時代の都市部の死の影は追い払われ、そうして今、東京の肥大化が進んでいるわけである。

歴史人口学で見た日本 (文春新書)

歴史人口学で見た日本 (文春新書)