歴史人口学で見た日本

 yagian(id:yagian)に薦められた速水融の「歴史人口学で見た日本」を読んだ。

歴史人口学で見た日本 (文春新書)

歴史人口学で見た日本 (文春新書)

 歴史人口学というものをおれは知らなかったのだが、歴史資料を元に過去の人口動態や家族構成、人の動きなどを見る学問であるらしい。大きくはマクロの視点とミクロの視点があり、マクロのほうでは人口統計資料(江戸時代にもそれに類するものはあった。ただし、武士については記載されていない)、ミクロのほうでは寺の檀家を記載した宗門改帳(しゅうもんあらためちょう)などを利用する。宗門改帳は全戸調査に近いものだから、残っていれば一村まるまるの出生、死亡、結婚、移動などがわかり、家族や個人のライフヒストリーをある程度再構成できる。

 こういう本を読むと、我々が今持っている江戸時代のイメージというのは何なのだろうか、と思う。おそらく、おれも含めて多くの人が持っている江戸時代のイメージは、歌舞伎や落語、講談、当時の読み物、そこから派生した二次的、三次的、四次的……な時代劇や時代小説、歴史ドキュメンタリーから得られたものではないかと思う。そうして、扱われるのは江戸や京・大坂といった大都会や街道筋が圧倒的に多い。

 しかし、この本を読むと、江戸時代の日本に対する見方がいろいろと変わってくる。たとえば、18世紀前半以降の史料では日本全国だいたいの地域では人口が増えているが、関東や近畿だけは人口が増えていない(ところによっては減っている)らしい。江戸、京・大坂に多くの人が流入しているのにも関わらず人口が増えていないということは、それだけ大都市部の死亡率が高かったということのようだ。おそらく、人口が密集すれば疫病による死亡率が上がるせいだろう。人が死んだ分を埋め合わせるために労働人口を呼び込む、というのが当時の大都会の姿だったようだ。美濃地方の村の研究では出稼ぎに行った人の三分の一が奉公先で亡くなっており、その四分の三が都市や町場で亡くなったという。14世紀のヨーロッパのペストによる死亡率が三分の一くらいだから、大都会、江戸や京・大坂などに出稼ぎに出るということはペスト並みに命がけのことだったようだ。

 その他にもいろいろと興味深い話がでてくるのだが、ここではとても紹介しきれない。この本のもうひとつの魅力は速水先生のそこはかとないユーモアである。速水先生の活気ある心が筆からにじみ出ているように感じた。江戸時代の実像に興味のある方にはおすすめである。