文化の甘口化

 例によっての何となくの印象で記すんだが、日本では文化の甘口化が進んでいるような気がする。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本が結構売れているらしい。読んでいないので間違っていたら申し訳ないが、タイトルから察するに高校野球のマネージャーが「マネジメント」を元に野球部の運営を図る、それによって「マネジメント」の内容がわかるという話ではないかと思う。その他にも「磯野家の何とか」という本も出ていた。手法としては、子供にシロップ薬を飲ませるようなもので、そのままだと少々しんどい内容をとっつきやすく、飲みやすくしているということだと思う。

 この手のやり方がいつから始まったのかは知らない。案外昔からあるのかもしれないが、記憶にない。売れたと言えば、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」が印象に残っている。会計学方面の本で、実はおれも買って読んでみたことがあるのだが、さおだけ屋が潰れない理由がわかったところで満足してしまったので、会計学についてはいまだに白痴のままである。「空想科学読本」というシリーズもあって、物理学の知識を使ってSFを検証してみるという内容だが、あれはちょっと違うかな? 面白がりながら物理学を学ぶというよりも、物理学を使って遊んでみるといったほうが近い本だと思う(そちらの姿勢のほうが高級な気がおれにはする)。

 昔から名著の入門書や解説本のたぐいはたくさん出ているが、最近(といってもここ十年くらいか)の特徴は非常に親しみやすいネタや設定を使って、一見難しく思われているものを吸収させるというやり方だと思う。「漫画で読む○○」みたいなものも同じだろう。日本の中華料理は、中国の中華料理に比べて随分と甘いという話を聞いたことがあり、おれも中国に行ったときそんなふうに感じたが、同じような甘口化が読み物方面でも進んでいるような気がする。

 あくまでおれ自身の好みなんだが、あまり甘いばかりなのもなあ、と思う。渋み、苦みのよさというのは甘みでは代用できないからだ。子供っぽさも気になる。

 名著と言われるものはとっつきにくいところがある。たいていは分厚いうえに密度が濃くて、読み始めた途端に疲れたりする。しんどいこともあるのだが、しかし、密度が濃い分びんびん響くこともある。あまり甘くして飲みやすく、食べやすくするのも、どうなのかなと思う。

 それをきっかけにしてドラッカーの本編を読むかもしれないではないか、というご意見もあるかもしれない。しかし、これについてははっきりと言える。「ほとんどの人は読まないでしょう」、と。