磯田道史の「武士の家計簿」(新潮新書)と「殿様の通信簿」(新潮文庫)を読んだ。
「武士の家計簿」は、加賀藩の下級武士だった猪山家の出納帳と日記を元に、当時の武士の生活感覚を再構成してみせた本だ。武家の生活を実証的に解き明かしているところが面白い。
たとえば、武家の生活では冠婚葬祭やその他の通過儀礼、あるいは付き合いや体裁に費やす身分費用が大変に多く、家計を逼迫させる原因になっていたらしい。親戚間の借金が多いこと(結構な高利をとっている)、社会のネットワークとして親戚関係が非常に強い機能を果たしていたことなどが金額で示されていて、説得力がある。
そういえば、森鴎外の「渋江抽斎」にも、儀礼にかかる費用をどういうふうにまかなったかがそこここに記されていた。お金の融通の仕方を通して、人間関係や生活感覚、社会とまで言うと大げさだけれども当時の世間のありようみたいなものが浮き彫りになる仕掛けとなっていたと思う。渋江家の家計を鴎外はどうやって調べたのだろう。書簡から拾い出したのだろうか。
「殿様の通信簿」のほうはやや期待はずれであった。江戸初期から元禄頃までの大名についての歴史エッセイで、読んでいて退屈はしなかった。ただ、一応は「土芥寇讎記」なる珍しい本やその他の史料を元にして書いてはいるのだが、あまり実証的な感じではない。推測を超えて想像で書いているところも結構見られる。たとえば、こんな文章がある。
だからいま、家康は駿河の国、安倍川の河原にいる。
三河・遠江の二カ国に加えて、この駿河国を手に入れた満足感からか、ゆられている馬の足取りも、軽やかに感じられて、石ころばかりの河原に駿馬をすすめても、ただ心地よいばかりである。これほど心地よいのは、幼時から人質にやられ、さんざんに辛酸をなめさせられた駿府の地を平らげ、新しく領主として、その地に入ろうとしているからにほかなるまい。
この部分はおそらくは想像で書いたのだろう。ベタな感じである。歴史学者の書く文に、こういう読者サービスはいらないと思う。歴史学者が読者サービスをするのなら、中途半端な小説的文章で読者を楽しませるのではなく、数値などの証拠とそこからの再構成で楽しませてもらえるとありがたい。証拠はそれ自体が面白いからだ。「武士の家計簿」はそういう本だと思うけれども、「殿様の通信簿」は小説家のエッセイみたいで、ちょっと残念だった。
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