トモダチ?

 今朝の新聞にENEOSが動物の絶滅危惧種を取り上げた広告を載せていた。新聞の各面の小さなスペースに絶滅が危惧されている動物を一種ずつ取り上げ、名前のうちの一文字を伏せ字にしている。伏せ字を並べるとキーワードが浮かび上がる、という仕掛けらしい。コピーによれば「この新聞の情報の森に、絶滅の恐れがあるトモダチが隠れています。」、「ヒントは、『地球では、いろいろなトモダチが助け合って生きている』ということ」だそうだ。

 コピーとしてちょっとこなれていない言葉遣いでイラッとするが、それはまあよい。

 自然界にはいろいろな動物がいるが、それらは別にトモダチではないだろう。おセンチにすぎると思う。生物同士がいろいろな関係を結んでシステムを成り立たせているのはわかるが、それを助け合っているとか、支え合っていると呼ぶのはいささか強引で、単純化しすぎのように思う。子供に対して動物は「トモダチ」と呼ぶのは、まあ、童話の範疇と捉えればいいのかもしれないが、それをいつまでも引きずるのもどうかと思う。この種のおててつないで的な表現には、正直言ってうへっと思う。

 この手の考え方はいつ頃生まれたのだろう。絵的なイメージとしては、手塚治虫が始めて、宮崎駿あたりがセンチメンタルな形に仕立てて広めた気がするのだが、詳しいことは知らない。

 もしかすると、自然界を友達的な感覚で捉えるのは、自然界から遠ざかった都市住民、あるいは都市的生活の結果なのではないか。狂気に憧れるのが平和で安逸な社会独特の現象であるように。野生動物をトモダチと呼ぶ人には、熊に襲われて重傷を負った人や、サファリパークでライオンに囓まれた人にも同じことを主張できるか、と問うてみたい。あるいは駆除の進められている外来種もトモダチなのではないでしょうか???

 絶滅危惧種の保護に反対しているわけではないので、念のため。