方言

 おれが生まれ育ったのは富山で、あまり知られていないが、なかなかにヘビーな方言を使うところだ。初めて富山弁を聞いた人は半分くらいしかわからなかったりするらしい。まあ、たとえばかいてみっとね〜ぇ、こんなかんじながで、まっでわからんいわれんがんぜ。こっちはわかるようにいうとるつもりながやけけどね〜ぇ。そっで、なんやらはがやしなるときもあるわね。な〜ん、まっで気にせんでいいがやけど。ま、こっちがそういうもんながやわとおもとっしかないがやろけどね。

 わし、十八で東京にでてきたがやけど、なんやらそのころは富山弁つかうがなはずかしてはずかして、なるべくださんようにしとったちゃね〜。いまでもちょっこはずかしいがやけど、むかしほどじゃなくなったわ。時代なんかねぇ、年齢なんかねぇ、それともわしだけの話ながかねぇ。何やら他んとこの方言とかきいとっても、いいねえ方言ちゃ、いうて、なごむっちゅうがか、いやしいう言葉はあんますきやないけどぉ、なんか地に足がついたような感じがしていね、いいもんやわ。

 たとえば、このビデオ。むか〜しに名古屋のローカルで放送しとったもんらしいがやけど、なんかいいがやちゃ。「名古屋弁サンダーバード」。ちょっこ見てくれっけ。

 国際救助隊でなくとも、名古屋港あたりでは普通にこんな会話をしていそうである。声優(なのかな?)も上手い。

 非常に乱暴な言い方をすると、以前は文化度(正体不明の尺度だが。文明度かもしれぬ)のランク付けとして、欧米>東京>地方、という序列が割にはっきりあったように思う。東京的視点からは、大阪の言葉も「地方」の中に含まれていて、1980年の漫才ブームで大阪の芸人が大挙して東京のテレビに進出するまでは、東京で大阪弁を話すとそれだけで笑われたり馬鹿にされたりしたという(仁鶴やさんまがそんな話をしていたと思う)。漫才ブームの頃から大阪弁は東京経由で全国的な認知を得て、言葉については、(欧米>)東京>大阪>地方というランク付けとなった。しかし、今では地方それぞれの言葉も、それぞれのよさがだいぶ認知されるようになってきている気がする。まあ、今でも、おれも含めて、方言を聞くと笑うようなところがあるから、東京の流儀というものにまだだいぶ縛られてはいるのだろうけれども。しかし、その方言を聞いたときの笑いというのは、単純に馬鹿にしているのではなく、わからなさを面白がる感覚や「あはは、いいねえ」という感覚が混じっているように思う。洗練というのは実はそういうことではないかとも思う。

「地方の時代」と言われて久しく、そして「地方の時代」と十把一絡げにしているうちは実はそれぞれの地方にあまり目が行っていないと思うのだが、だんだんと「個々の土地ぶり(のよさ)」という見方が広まってきているように感じる。経済的に地方都市は厳しいところが多いようだけれども、それぞれの土地の文化を認めるという点では、よい方向に進みつつあるようにも思う。これはおれの個人的感覚だけではないように思うのだけど、どうだろう?