日本画の視線

 ふと思い当たったのだが、というかふと思い当たったようなことしかここには書いていないのだが、日本画では人物がこちら(絵の鑑賞者)に目を向けている構図がほとんどないように思う。浮世絵の美人達はたいがいあさってのほうを向いているし、物語絵巻の登場人物たちもそう(源氏物語絵巻の登場人物たちなんかは目が細すぎてどこを見てるんだかわからないが)。肖像画もほとんどの場合視線はこちらになく、たまにあったとしても人物を正面から描いたのでたまたまこちらを見ているように見えるだけと思える。


三方ヶ原の戦いの後の徳川家康。これはこちらを見ているのか?

 現代の日本の肖像方面は、こちらに視線を送ってきていることが多い。広告では美人のおねえさんが「うふ」という具合で微笑みかけてくるし、例のアニメ絵の奇怪な巨大目の娘達は「てへ」てな具合で頬を赤らめてあざとくこちらに熱視線を送ってくる(馬鹿かお前らは)。まあ、ああいうのはこちらに好意を持っているかのように見せかけて、その実は「買ってね」というのがその本意であるから、娼婦のおねえさま方の「うふふ」という視線とそのココロは同じなのだろう。知らんけど。

「鑑賞者に向ける視線」というのは、もしかしたら西洋画からの輸入であろうか。

 ベラスケスの有名なこの絵「女官たち」では、真ん中の姫のほかに画家や、小人風の女官や、奥の扉の人物や、さらにはよく見ると鏡の中の国王夫妻までがこちらに目を向けている。

 西洋の肖像画には、こういうふうに「モデル→画家」という視線、すなわち絵を見るときには「モデル→鑑賞者」となる視線が多い(「女官たち」の場合はこの他に「モデル→国王夫妻」という視線もある)。

 江戸時代以前の日本画にはこういう視線はほとんどないように思う。絵の中の登場人物がこちらを見ている構図を少なくともおれは思い出せない。画家および鑑賞者は「そこにはいない誰か」として絵世界を盗み見る立場であって、画家(あるいは写真家)および鑑賞者と何らかの形で結ばれようとする西洋の肖像画および現代の広告ポートレートとは関係のあり方が違うように思う。もしかしたら、幕末あるいは明治維新の頃に西洋画に接した日本の絵師達は、絵世界から外へと向けられた視線に驚いたんじゃなかろうか。

 何かとても重要なことに気がついた気もするし、大したことでもないような気もするし。ことから先、話が発展するのかどうかはよくわからない。

 関係ないが、沖田総司肖像画

 正しくは、総司の姉が、孫が総司に似ているというので昭和4年に描かせた絵だそうだ。おれは肖像画を見てこれほどの衝撃を覚えたことがない。爆笑するので、こちらを見ないでいただきたい。