電車の中で化粧する

 若い女の子が電車の中で化粧することがよく非難される。みっともないとか、信じられないとか、パジャマのまま電車に乗って着替えるようなものだとか、同じ日本人として恥ずかしいとか、まあ、いろいろな意見がある。

 信じられないと言う人は、自分はとてもやる気になれないと言うことなのだろう。この手の物言いは昔っから若い者に向けて年長者が吐いてきたことではある。ウォークマンが登場して電車の中でヘッドホンで音楽を聴くようになったときも言われたし、ズボン(ごめん、パンツと呼ぶ気になれないのよね)からシャツを出すようになったときも言われたことだ。よしあしは置いといて、年長者の常識と若い者の感覚がずれている限り、起きることなんだろう。

 パジャマのまま電車に乗って着替えるようなものだ、というのはなかなか面白い意見で、痩せても枯れても男の、というか、正確には痩せたわ枯れたわの情けない男のおれとしても、そんな面白い見ものならぜひやってもらいたいと思う。週刊誌的に言えば生着替えだぜ、諸君。ま、しかし、揚げ足とりをして申し訳ないが、化粧がパジャマから服に着替えるようなものだとしたら、スッピンの女の子というのはパジャマを着ているようなものなのだろうか? だとしたら化粧をしない素朴な女子高生はパジャマ姿で、化粧塗りたくりの女子高生はパーティドレス姿なのか?? そうのような気もするし、違うような気もするし。自分じゃ化粧しないからよくわからない。どうなのよ、(元も含め)女の子の皆さん。

 同じ日本人として恥ずかしい、と言う人には、まあとりあえず、「違う日本人かもよ」と言っておこう。気休めくらいにはなるだろう。

 改めて考えると、なぜ公衆の前で化粧する人を非難したくなるのだろうか。あるいは、自分がやるとなると恥ずかしく感じるのだろうか。いや、別に電車の中での化粧を肯定しているわけではなくて、化粧という行為の心の中での位置づけみたいなものに興味があるのだ。私の姿から公(=外目を意識する)の姿に変身する過程をさらすのがいけないのだろうか。蛹を割って、幼虫から蝶に変身する途中の姿を見ると困ったような心持ちになるようなものか。このあたり、リクツで捉えてみると面白そうである。

 公衆道徳についておれはとても語れる身分ではないので、別の視点から。おれ自身は、電車の中で化粧する女の子を見るのが好きである。面白い。こうやってできていくのか、と目を見張る。電車の中で向かいの化粧する女の子を目を見張って見つめている馬鹿をあなたが発見したら、それはおそらくおれである。作品のできていく過程というのはたいがい面白いものである。下手すると作品自体より面白い。あんな面白いものを簡単につぶさないでいただきたいと思う。

 電車の中の化粧はアクション・ペインティングである。