矛盾というのは韓非子にある故事で、楚の男が「この盾を貫けるものはない」「この矛で貫けないものはない」と言って矛と盾を売っていたら、「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問い詰められて困ってしまった、という有名なお話である。ジョークみたいな話なんだが、わかりやすさとそこはかとないバカバカしさ(褒めているつもりだ)がウケてかよく使われ、後には「資本家と労働者の階級矛盾」などというもの凄いことまで言い表すようになった。楚の男の売り口上も随分と出世したものである。
矛盾のような言葉遊びは面白い。言葉というのはそれだけで一応は世界を作り上げられるから、現実世界(小難しくいうと経験的世界)との食い違いをしばしば生み出して、それが面白く感じられるのだと思う。
一昨日、矛盾のある言い回しをふたつばかり思いついてtwitterに書いた。
一般的に、一般論には意味がない。
全てのものは絶対に相対的である。
後者は内容的にはおれの発明ではなくて、よく知らないけれども哲学思想の世界で相対論の話になるとよく出てくる問題であるらしい。全てのものは相対的である、と言ってしまいたいのだけれども、そうすると「全てのものは相対的である」という命題も相対的なのか、だったら全てのものは相対的ではなくなるではないか、とまあ、ここらに来ると哲学とヘリクツの境目も曖昧になってくるが、話の骨子は矛盾の故事と同様である。
この手の言葉遊びで特におれの好きなのが、ジャズ・アルトサックス奏者の坂田明の次の言葉だ。
勝負は勝ち負けではない。(坂田明)