浮世絵美人

 前にも何度か書いた覚えがあるんだが、浮世絵の美人画の顔がおれにはどれもほとんど同じに見える。

 歌川国貞も、

 安藤(歌川)広重も、

 葛飾北斎も、

 描いている場面、趣向は全然違うが、顔はとてもよく似ている。
 美人画の極めつけはやはり喜多川歌麿で、

 はだけた浴衣の首元あたりのなまめかしさは大変なもので、いやもうドーシマスカ、オトーサン!!である。驚くべきことにこの絵、うなじとあご、浴衣のラインだけでなまめかしさ(肉感、という言葉がぴったりだ)を生み出していて、この絵師は本当にすけべえだなあ、と思うのだが、しかし、顔はやっぱり類型的なのである。

 この顔のパターン化は、いったいなぜなのだろう。絵師達は趣向や構図の違いには腕をふるったが、顔の個性を描き出すことにはあんまり興味がなかったのだろうか。それとも、今これらの絵を見ているおれの目が曇っているだけで、当時の鑑賞者たちは顔の微妙な違いを楽しめたのだろうか。

 イーヤ、江戸時代の若い女達は実はみんなああいう顔をしていたのである、と前々からおれは主張しているのだが、特に誰も賛同してくれないようである。それはそうだろう。おれだって賛同できない。

 さかのぼって見ると、浮世絵の元祖といわれる菱川師宣(17世紀の人)の美人はまだそれほど類型化していない。

 有名な「見返り美人」もそうだが、室町っぽい感じも残しているし、まだ複数の顔立ち(ここでは2つ)があるように見える。

 鈴木春信(18世紀中葉)になると、いわゆる典型的な美人画の顔に近づいてくる。しかし、まだ師宣の感じも残っており、「ああ、ハイハイ、美人画ね」というふうではない。

 春信から歌麿までは生年にして30年くらいの違いがある。30年といえば長いといえば長いが、短いといえば短い。春信と歌麿を比べると、絵師の肌合いの違いもあるんだろうが、歌麿は随分と爛熟してしまったなあ、という感じだ。

 美人画について絵師達はあまりモデルの個性の描出に興味がなかったようにおれには思える。しかし、顔の個性ということに絵師が必ずしも興味がなかったわけではなくて、例えば、北斎漫画には次のようなものがある。

 現実世界の顔の違いということと、美人画の中の美人の顔のありようというのは全然別の問題だったのだろうか。

 例えば、昔の少女マンガの大きなお目々にお星様キラキラ、まわりは無意味にバラの花といった絵や、現代の萌え絵と言われるものも、おれが別のところで暮らしているせいかもしれないが、ひどく類型化して見える。絵世界の中の美意識には、現実世界のそれとは別基準のものがあって、時にある種の典型に凝集していくものなのかもしれない。

 それにしても江戸時代の人は美人画の顔を見て萌えることができたのだろうか。もしそうなら、随分と遠く離れてしまったものである。