防衛意識過剰

 逆ギレを、英語では単純に"being defensive"と言うんだそうだ。神経過敏、防衛意識過剰ということなんだろう。なかなか本質をうがっているように思う。

 家族友人恋人愛人関係だとまたちょっと別だが、日本では会話がお互いの譲り合いみたいなことになりやすい。本心では「違う」と思っていても、あまりあからさまに指摘をしない。言葉もぼかす。

「あの、もしかすると、1+1=3ってことはありませんかね」
「あ、あー、なるほど。そういう考えもあるかもしれませんよね」
「ですよね。いや、ちょっとそんな気がしたもので」
「うーん。そうかあ。3かあ」

 などと、「言い出しかねて」というふうになりやすい。

 これをもって、日本人は相手の気持ちを慮るうるわしき民族なのだ、と鼻高々に言えるかというと、よくわからない。ネットなんかでの汚い書き込みを見ると、「自分が誰だかバレない限りは攻撃的」な人も結構いるようだ。言葉を弱めて、あまり意見を強く主張しないのは顔を合わせているときというふうに思う。メールだと強いことを言うのに、顔を合わせると途端に優しくなる人もいる。

 何なのだろうか。本当に相手のことを慮っているのなら(それがいいかどうかはまた別問題だが)、顔を合わせていようが、匿名だろうが、態度が一貫しそうなものだが。

 仮説だが、自分が攻撃されるのが怖いからあまり相手にキツいことを言わないのだという気もする。相手に立ち向かう西部劇のガンマン的な状況にあんまり慣れていないのかもしれない。顔を合わせて攻撃されるのが怖い。でもって、攻撃されないように、攻撃されないように、と腕で自分を囲うようにしていて(腕組みというのは防衛的状態の目印だ)、言葉も丸めて暮らしていて、攻撃されることに慣れないでいて、いざキツいことを面と向かって言われると、ドッカーン。それが逆ギレというやつではないか。窮鼠猫を噛む。カバも狂乱する。傘でつつけば犬も飛びかかってくる。当たり前か。

 おれは、日本語会話の丸める、はっきり言わない感じの言い回しが好きである。しかし、弊害もあるなあ、と思うこともある。話がなかなか深まらないし、仕事だと変な遠慮が全体をダメにすることもある。

 ガキの時分からガンガンやりあうようにして、ぶつかり合いに慣れたほうがいいのだろうか。