現象の解釈

 さて、この不可思議な現象について、どのような解釈が考えられるだろうか。

 最も多くありそうなのは、やはり夢を見ていた、というものだろう。一晩中目が覚めていたのだからおれには夢とは思えないのだが、しかしまあ、経験的にはそう解釈されることが多いだろう。

 寝ぼけていた、という解釈もあるだろう。夢うつつの状態で夢遊病者のごとく階下へと降りていき、途中で引き返したのである。移動している間ずっと天井を見ていたのが不思議だが、この解釈をとるなら、おれは首を垂直に曲げてずっと真上を見ながら歩いていたことになる。間抜けな格好である。

 上の2つは「科学的」とされそうな解釈である。しかし、実のところこの2つには特に科学というほどのものはなく、あえて言うなら「科学を中心に据えて解釈される世界では消去法的に支持されそうな解釈」であろうか。

 それに対して、本当に体が水平状態のまま浮いたんだ、という解釈もある。これはまあ、科学には反するし、もし実際にそんなことが起きたらあの世でニュートンが「わしの苦心はなんだったのだ!」と地面をこぶしで殴って悲嘆に暮れそうだが、おれ自身の経験としては、これなんである。夢説、寝ぼけ説よりも話としてはおもしろい。

 などという話を友達にしたら、もっと驚くべき説が出てきた。それは、「そのとき、階下で寝ている親父も体が浮いた」というものである。おれの体が水平に浮いて、仰向けの状態で「こんな姿を親に見られるわけにはいかない」と焦っていたとき、父親の体もまた水平に浮いて、うつぶせの状態で「こんな姿を息子に見られるわけにはいかない」と焦っていたというのだ。そうして、両者は階段の真ん中で邂逅したのだが、片や仰向け、片やうつ伏せであるからして、お互いに気づかぬままに、「//」の形で行き違った。そうして、朝食の場で親と子は昨晩の異様な出来事について語ることができないでいたというんである。

 素晴らしい解釈だ。真実かどうかとは関係なくおもしろいものが残るというオモシロヘンデスの法則に従えば、最も強力な説であろう。

 そうして、上の4つの解釈、決め手がないという点では実はどれも同じなんである。