駄洒落排除運動

 おれは煙草を吸わないので、皮肉や風刺ではないんだが、煙草を排斥するんなら一緒に駄洒落も排斥したらどうかと思う。煙草と駄洒落はよく似ている。

 まず、口にする本人の楽しみだけでは済まず、まわりに迷惑をかけるところが同じだ。受動喫煙、受動駄洒落というやつである。

 そうして、まわりで受動的に吸ってしまった/耳にしてしまった人の(精神的)健康も損なってしまう。本格的な医学的研究についてはこれからを待たねばならぬが、妊婦が駄洒落を耳にした場合には、妊婦のみならず胎児にまで影響を与えるんじゃないかとおれは疑っている。もし胎教に効果があるんなら、胎内で駄洒落を聞いた場合、悪影響があっておかしくないからだ。恐るべきことである。関係者の間では有名な事例なんだが、胎内にいる間に父親からくだらない駄洒落ばかり聞かされたせいで、出産の際、「オギャーだぎゃー」と泣きながら生まれてきた名古屋の事例も報告されている。

 そもそも根本的な問題なのだが、煙草も駄洒落も著しい中毒性を示す。煙草を吸う人は「愛煙家」などと気取っているが、なに、あれはただの中毒者である。「愛煙家」という表現の奇妙さは、「愛覚醒剤家」という表現が奇妙なのと同じである。駄洒落もまた中毒性が高く、おそらくはこれをお読みの方のまわりにも、目にするもの聞くもの全て駄洒落にせずばいられない馬鹿がひとりやふたりいるだろう。たとえば、この文章を読みながら、「覚醒剤をかく(隠)せいざい!」なぞとほざいて平気でいるのだ。下手すりゃ、自分では結構人気者のつもりでいたりする。脳が相当に侵されているとしかいいようがない。

 おれは、本人および周囲の人の精神に与えるダメージを考えたとき、駄洒落は法律で禁止するくらいのことをしてもよいと考えている。もちろん、デーブ・スペクター氏は強制送還だ。荻野アンナ氏は・・・・・・氏の専門領域であるフランス文学研究にでも旅立っていただくか。

 しかしまあ、あまり急進的な政策も考え物であるから、まずは煙草と同様、公共の場での禁止ないしは制限を行うことから始めるとよいだろう。禁駄洒落、分駄洒落である。レストランでは原則禁止。喫茶店でも食事時間帯は禁止(飯がまずくなるから)。歩きながらの駄洒落ももちろん全面禁止にして警察の取り締まり対象とする。新幹線には駄洒落車両を設ける。うっかり駄洒落車両に乗ると、席に座った駄洒落馬鹿どもが進行方向に向かってひたすらぶつぶつぶつぶつつぶやいているという地獄絵図を目にすることであろう。

 国家の持つ政策実現手段の最も有効なもののひとつに、税金がある。とりあえずは一駄洒落あたり200円の駄洒落税を設け、ゆくゆくは1000円くらいまでの引き上げを狙いたい。ざっと試算すると、日本に100万人の駄洒落馬鹿がいて、駄洒落馬鹿が1日あたり20の駄洒落をつぶやくとして、1000円×20駄洒落×365日×100万人=7兆3000億円もの税収が見込める。

 企業にも、職場での駄洒落原則禁止が求められる。あれは職場の戦意を著しく削いでおり、おれの手元の試算では、GDPの約3.7%が駄洒落により失われている。逆にいえば、駄洒落さえ禁止すれば、インフレターゲット論なんぞ鼻紙みたいなもんだ。企業では、必然的に喫煙ルームと同様の駄洒落ルームが設けられることになろうが、いやしかし、中に足を踏み入れることを考えると恐ろしい。駄洒落馬鹿どもがたまりにたまった駄洒落を毒霧として吐いているのだから。一度スーツについたら、繊維の奥にまで染み込んで、はたいても洗っても絶対に取れないに違いない。

 そうして、この頃お随分と長くなった日暮れ時、団地のそばを歩く。どこからかカレーのにおいがする。鳥のさえずりのようなものがかすかに聞こえる。耳をすますと、そこここのベランダでぽっ、ぽっ、と駄洒落がつぶやかれている。ホタル族ならぬ・・・・・・よいネーミングを思いつかないな。しかし、いっそそのまま全員ベランダから落ちろ、と思う。