子を思う心

 ある人のガレージで野良猫が子猫を生んだ。ダンボールとタオルを用意してあげて、親猫と子猫の様子をUSTで中継している(子猫たちの里親を探していらっしゃる。Twitter IDはmiccorina]

→ USTの猫放送
(中継なので、もしかするとこれをご覧になっている頃には終わっているかもしれません)

 いやー、しかし実にもってかわゆい。どうにかしてほしい。

 考えてみれば不思議な話で、猫であれ人間であれ、あるいは犬であれ豚であれ牛であれ馬であれ猿であれ、どうして哺乳類の子供というのはかわゆく感じられるのだろうか。うろ覚えだが、顔の面積に比して目の比率が大きいと子供らしく、可愛く感じるという研究があったようななかったような……。いやしかし、それだけが理由ではないだろう。

 おれは、やたらと何でも遺伝子だのDNAだののせいにするのはよくない傾向だと考えていて(「四季の変化を愛する日本人のDNAが〜」とか。そんな遺伝情報を発見できたらノーベル賞ものだろう)、我々の行動パターンや嗜好の多くが後天的なものであって、多くが文化によるものだと思う。しかし、小さいもの(人間/哺乳類)を愛しく感じる心に限っては、その多くの部分が遺伝によるんじゃないかと思う。哺乳類は(なんせ哺乳しなければならないという事情もあって)たいてい自分の子供を(時には他が生んだ子供も)慈しむからだ。

 たんぱく質の組成を決める遺伝情報がそういう認知と行動パターンを律する仕組みというのは、実に不思議だ。単純化して考えても、

子供を感覚器官(目や耳など)で補足する

子供であると認知する

保護してあげなければと/あるいはかわゆく思う

 ということなんだろうけど、こういう流れの「↓」にあたる部分をたんぱく質の組成でどうやって規定しているのだろうか。脳内物質に関係するのか。毎度思うのだが、自然というのは実に玄妙である。とてもかなわない。

 まあしかし、動物園で育った動物が子育てを放棄するという例もあるから、全てが遺伝のせいというわけでもないのだろう。親から受けた世話(いっそ恩と呼ぶか)を記憶して、それを自分の子供に施す部分もあるのだと思うが、それはそれで情報の伝達ということを考えると玄妙だ。

 人間について不思議なのは、たとえば、子猫のような別の種の子供を見たときもかわゆく感じることだ。他の種でも狼少年のような例があるから、まったくないことはないんだろうが、ライオンがインパラの子供に保護本能を刺激されてかわゆく思う、なんてことはなかろうと思う(いや、ライオンに友達がいないので、知らんけど)。なぜ、(もっぱら?)人間は、子猫も、子犬も、子豚も、小猿も、小ライオンもかわゆく思うのか。最初の疑問に戻ってしまうが、不思議である。

 相変わらず、不思議、不思議と言うばかりで、答が出せぬのだが、生物というのはつくづくよくできてるなあ、玄妙だなあ、と思う。