漱石「こころ」を悲恋物語として考える

 上記を書きながらふと思ったのだが、夏目漱石こゝろ」を悲恋物語として捉えるとどうなるだろう。

「先生」と「奥さん」にとっての障害は、「親友Kの死」ということになる。「先生」と「奥さん」の恋は一応成就するのだが、特に「先生」にはずっと重い影が落ちている。「奥さん」はその影の正体を理解できないでいる。男女が障害を乗り越えようとする単純な構図とは違い、それが「こゝろ」の複雑微妙さ、何ともやりきれない感じにつながっているように思う。

 同じ漱石の「門」の夫婦も、一見、静かで平和なように見えて、「こゝろ」に似た障害を抱えている。恋を成就しきれないでいる。