国立文楽劇場で妹背山婦女庭訓を見る

 大阪の国立文楽劇場文楽の「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)を通しで見た。

 有名な「妹山背山の段」は四人の太夫(義太夫を語る人)で語る。大御所の住大夫、綱大夫と、若手〜中堅くらいの文字久大夫、呂勢大夫。文字久大夫の堂々とした語りっぷりが印象に残った。声がよく通るうえに、語り口が師匠の住大夫によく似ている。その住大夫はドスの効き方が尋常でなく、一声きいただけで謝りそうになってしまった。

 関係ないが、呂勢大夫はおれの兄貴と小学校のとき同じクラスで、本名を清家くんという。ガキの時分、うちにも遊びに来たことがあると思う。

「妹背山婦女庭訓」はさすがに名作といわれるだけあって、「妹山背山の段」以外も見ごたえがあった。「妹山背山の段」「金殿の段」にくらべて取り上げられることの少ない(おれが知らなかっただけかもしれないが)「芝六忠義の段」が思いのほか面白い。身代わり、犠牲的精神、笑かし、母の涙、世を忍ぶ仮の姿・実は誰それであった、という芝居のウケる要素が短い時間にてんこ盛りである。

「金殿の段」はしまいのほうのお三輪狂乱から後は緊迫していいのだが、真ん中あたりで(少なくともおれは)ダレた。殿中の女官達が鱶七をからかう場面は、後で女官達がお三輪を同様に嬲る場面があるし、省いてもいいんではないか。おれなんぞがどうこう言うことではないか。