新芽と生命力の衰え

 鴨川べりを自転車で走ると、満開の桜もきれいだが、柳の芽吹きもまた美しい。

 桜の下を抜けるとぱっと心が浮き立つような心持ちになるが、芽吹いた柳の淡い緑の小さな葉を見ると愛おしい心持ちになる。生まれたばかりの壊れそうな赤ちゃんをそっと抱くような感覚に似ている。そうして、ほんの少しかなしさも交じる。

 この季節は、菜の花もいい。雨の日の桜は魅力三割減だが、菜の花は雨の日に別の魅力感じさせる。くすむまわりの風景のなかで、菜の花の黄色だけがかえって鮮やかに目に飛び込んでくる。

 若い頃はあんまりそんなふうに感じたことはなかった。桜もだが、芽吹き柳や菜の花の美しさを身にしみて感じるようになるのは、年をとって己の生命力が少しずつ衰えているからのように思う。

「あとはまかせた」、は違うな、「おれにかまわず行け」、これも違う、なんだろうか、これから上昇していこうとするもののまぶしさ、愛おしさとでも言うか。ともあれ、しみるのだ。