異種族間のこどもの呼びかたについて

 このところ言葉狩りのようなことばかり書いていて、己の狭量さをさらけだす結果となっている。面目ない。

 でもって、今日もまたさらけだすわけであるが、いわゆる差別用語のはなしである。差別用語というのは、「つかうと二年以下の懲役もしくは三十万円以下の罰金」というような法的拘束の対象となっているわけではなくて、たいがいは自主規制、ないしはつかうと非難されるという通念の問題である。

 今日とりあげたいのは異種族間のこどもをなんとよぶかである。

 まず「あいのこ」という言いかたがあるが、これはどうもけものあつかいしているようでいかがなものかと、あまり使われなくなっているようだ。

「あいのこ」ということばがもともとけもののことをさしていたかどうかは知らない。ちがうのではないか。ひともけものもさしていたのが、けものをさすほうの印象が強まり、いつのまにか「けものあつかいはいかがなものか」となったんではと推察する。もしそうなら、最初は差別的意味合いはなかったのにだんだん「差別的では」と忌避されるようになった点で、「土人」(もともとは土着の人という意味)なんかと同じである。

「あいのこはいかがなものか」というので、かわってよくつかわれるようになったのが「混血」である。しかし、これもまた「血が混じるという言いかたはいかがなものか」「対義語が『純血』ってそっちのほうがよさそうじゃないか」とだんだん頻度がへってきているようである。気になりだすとしょうがないものですね。

「混血」の代用として、今、もっぱら使われているのが「ハーフ」である。祖父母のひとりが異種族の場合、「クォーター」という言いかたもされる。今のところ、ネガティブな印象は少ないようだ。日本人は外来語で表したものを一段上に見る文化のなかでそだっているし、外来語だとあまり意味するところをかんがえないせいもあるのだろう。ただし、異種族間のこどもという意味での「ハーフ」は和製英語である。

 しかし、これからも「ハーフ」で安泰かというとわからない。なぜなら日本語(ここでは和語ないしは漢語のこと)で言うと「半分」である。「半分とはいかがなものか」という例のいかがなものか感覚がぞろ働きだして、「ハーフ」もまた差別用語のほうへ追いやられることも考えられないではない。すでに両種族の特徴をいただいていてお得であるとの意味で「ダブル」という言いかえもはじまっているようである。これまた、気になりだすとしょうがないものですね。

 いつだったか、わたしの友人が「黒人」という言葉を見て、「あれ、黒人って差別用語じゃなかったっけ?」と言いだしたことがある。差別用語を云々すると、しばしばその人自身の差別意識があぶりだされる。異種族間のこどもの呼びかたもまた然り。