年齢を重ねる

 前にも書いたおぼえがあるが、「年齢を重ねる」という言いまわしを見かけるとむむむという感覚をおぼえる。

 もともとは「年をとる」という言いまわしを嫌ってでてきた表現なんだろうとおもう。たとえば、中高年向けの化粧品の広告で「年をとる」はいかがなものか? というわけで「年齢を重ねる」という言いかたがつかわれるのだが、わたしは見るたびに「糊塗」あるいは「隠蔽」ということばをおもいだす。

 夏目漱石の「それから」にこんなことばがある。

鍍金(メッキ)を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。

 年をとることについて、わたしもおんなじふうに感じている。

 まあ、老けていくことを侮蔑すべきかどうかはおいておいて、侮蔑されがちであることはたしかである。体や頭のあちこちに不都合が出てくるし、そういうことは能力減ととらえられるんだから、しょうがない。

「年齢を重ねる」という言いまわしをつかう人たちは、「『年をとる』? ああ、やだやだ、馬鹿にしてるじゃないか、不愉快じゃないか」というんで、「年齢を重ねる」という言いかたにおきかえるのだろうが、それこそ「年をとる」ことを侮蔑しているんだと思う。自分で穴を掘って、自分で落っこちている。