面子の文化

 日本では――といっても諸外国の事情なんぞもちろん知らんのだけれども――インターネット上での議論がすぐに感情的な色彩を帯びていく。論理、正否を問うているのを人格攻撃のように勘違いして、罵倒の応酬に成り下がる。掲示板とかでたくさん見られますね、そういう醜い現象。

 あれはどういうことなのだろう。日本の面子の文化みたいなもののせいなのだろうか。つまり、意見というのはその人自身の存在と不可分のものと考えてしまう。その人から独立した別のものとは考えないのだ。たとえるなら、万有引力の法則はニュートンという人間と不可分であり、万有引力の法則にケチをつけるとニュートンが「わしをコケにするのか!」と怒り出してしまうような、そんな物事の捉え方である。

 まあ、本当のところはわからない。欧米方面の書き込み泥仕合問題というのはどうなのだろう。面子の文化という点では日本以上に強力そうな中国ではどういうふうになっておるのか。