昔撮った写真

 本棚を整理していて、写真のアルバムコーナーへとぶちあたった。

 昔、友達と写真部なるものを作って、あちこち写真を撮りにいっていた時期がある。その頃のアルバムが結構な量になっていた。

 捨てるか残すか決めるため、パラパラとページをめくっていて、ちょっとばかり気恥ずかしくなった。コンクリートの壁の穴ぼこを撮った写真とか、アスファルトの割れ目から生えている雑草とか、街で見かけたお婆さんの背中とか、安易な計算が読み取れ、「どうだ、この写真」という意識がミエミエで、その割りに出来は拙い。自意識過剰で、しゃらくさいのである。

 わたしはあまり写真に詳しくないけれども、優れた写真作品というのは、計算とか自意識云々とか意識させる前に、作品自体が迫ってくるように思う。あるいは、迫ってくるのではなくて、作品の中で遊ばしてくれる作品もある。自意識や計算が感じられたとしても、少なくとも見ていて邪魔に感じさせることはない。

 わたしの撮っていた写真は、まあ、カラオケのようなもので、カラオケで歌うこと自体は楽しいし、結構なのだけれども、自分のカラオケの歌を残して後で聞き直す、なんていうのはちょっとどうか、である。

 アルバムのほとんどを捨てることにした。ああ、恥ずかしい。