ウケる

 例によって突然の話題で恐縮だが、言葉というのは認識のありようである。であるからして、何かを形容する際、言葉を変えれば、認識のありようもまた変わる。大げさに言えば、言葉を変えることによって、世界に対する我々の認識の仕方もまた変わるのだ。このことは遠く二千四百年前すでに古代ギリシアプラトンが唱えていたのかどうかはよく知らない。

 などとエラソーに書いておいて、言いたいことはいつも通りくだらない。世の中、あれやこれやとニュースやゴシップ、社会問題が取り沙汰されているが、あれら全てを「ウケる」という視点で捉えると、我々の認識はどうなるであろうか。

 たとえば、ここんところ、社会・経済方面で取り沙汰されているのがトヨタのリコール問題である。これはウケた。何しろ品質、信頼感で売ってきたメーカーだし、日本企業の中でも特級の優良企業とされてきた。「トヨタよ、まさかお前が……」という気持ちもあるだろうし、一方で一昨年あたりからの業績の陰りや、プリウスという希望の星的車種、それに多少のやっかみもスパイスとなって、大いにウケたのだろう。

 トヨタ問題に押し出された感もあるが、小沢一郎の政治資金問題もウケた。まあ、小沢一郎というのは昔から何をやってもウケる人であり、あるいは何もやらないでいるとそれはそれで憶測を呼んでウケてしまうという稀有な人である。今の日本の政界でこれほどウケる人も珍しい。世界を見回しても、対抗できるのはイタリアのベルルスコーニ首相くらいではないか。

 スポーツの世界では、まもなくバンクーバーがウケようとしている。

 電撃方面で最近ウケたのは何だろう。iPadだろうか。Amazonキンドル日本語版はウケるのかな。実際に販売されているものでは、iPodがウケているらしいけれども、ソフトバンクが売る限り、わたしは買わない(いまだにYahooBBキャンペーンの悪い印象を抱き続けている)。Googleはストリート・ビューの頃まではずいぶんウケたけれども、最近は今ひとつウケないようだ。新ネタが不発らしい。Microsoftに至っては盛りを過ぎた芸人のごとくである。

 もう少し視点を上に持ってきてみよう。1990年代後半からウケたのは、何と言ってもインターネットと地球環境問題である。どちらもいまだにウケ続けている。個人的には、これからエネルギー、それも太陽や風力などの既存の新エネルギー(変な言い方だが)ではなく、別個の系統のものがウケるような気がしている。

 インターネットを含め情報化社会というのが非常にウケたわけだが、その前には産業革命がウケた。最初はヨーロッパでウケ、あまりに面白いもんだから世界中に広まって、ウケにウケた。今でもウケている。さらにその前は農業と牧畜がウケた。

 もっとさかのぼると、言語と火の使用がウケましたね。直立二足歩行というのも大いにウケた。あまりにウケたのでまわりのみんなが真似しだして、それで我々人類は今、二本足で歩いたり、走ったり、転んだりしているわけだ。

 どんどんさかのぼる。卵を生むのをやめて腹の中で育てる(胎生)のがウケ、体温の常温化がウケ、四本足で歩き回るのがウケ、陸にあがるのがウケ、肺呼吸がウケた。その前にはエラ呼吸がウケ、卵生がウケ、脊髄がめちゃめちゃにウケた。多細胞生物がウケ、分裂がウケ、DNAがウケた(デジタル複製技術なんて、この頃すでに確立されているのだ)。最初にウケたのはどんなだったろう。アミノ酸だろうか。

 一方、ウケるの反対にはスベるという現象がある。こちらの歴史は悲しい。Lモードとかキャプテンとか、ネアンデルタール人とか、カンブリア紀のさまざまな生き物達とか。