漢字の分解

 漢字というのはなかなかよくできていて、たとえば「林」、「森」なんていうのはわかりやすい発想であるし、「米」を食って体内で「異」なったものとなってから外に出てくるとああいう字になるわけである。

 もっとも、中にはこじつけとしか思えない説明もある。例の説教くさい長髪の教師の言い草がそうで、「人」というのは支えあっているからああいう字なのだとかなんとか偉そうに言う。あれは支えあっているというよりむしろ馴れ合ってもたれあっているだけではなかろうか、あるいはしからば「入」という字はどうなのか、と、そういう疑問も沸いてくるわけであるが、それについて説教くさい長髪の教師はどう説明してくれるのか。

「信」という字も説教に使えそうだ(すでに使っている人がいるかもしれない)。「人が言ったことはまず信ずるものです」とか、「人ひとたび言を口にしたる後には信なくして非ず」とかなんとか。そうやって(どうやって?)信者を増やして、ずいぶんと儲けた教団もあるようである*1

「親」という字は心配して木の上に立って子どもを見るからだ、なんていう説明があるが、これはさすがにどうかしているのではないか。子を思う親の心は大変に有り難いものだが、「心配だ!」といきなり木にするする登って、てっぺんに立って見ているという行動はやはり常軌を逸していると言わざるを得ない。むしろ親のほうの精神構造と足場が心配である。少なくともわたしは、そんな親は困る。

 わたしが好きなのは「夫」という字だ。「人」という字を二重線で否定している。身につまされる境遇の夫の皆さんも、案外多いのではなかろうか。

*1:信者と書いて儲けると読む。