鉄のフライパン賛歌

 このところ十数年ぶりに料理をしている。でもって、鉄のフライパンを買って使っているのだが、これがなかなか楽しいのだ。

 きっかけはテフロンのフライパンを焦げ付かせてしまったことだ。あれは一度焦げ付かせてしまうと、焦げ付きをゴリゴリ擦り取るわけにいかず(テフロンが剥げる)、さりとてそのまま使うと焦げ付きの上にさらに焦げ付きが起き、結局、ジ・エンドである。その点、鉄のフライパンはゴリゴリ焦げ付きを擦り取れると聞いて、買ってきた。

 使ってみると、すこぶる調子が良い。鉄のフライパンは使い続けるうちに表面に油膜ができ、この油膜が焦げ付きを防ぐのだそうだ。確かに焦げ付きにくいし、多少焦げ付いても亀の子だわしでガシガシこそげ落とすことができる(テフロンのフライパンはテフロンが剥げるのでそうはいかない)。油膜がはがれるのであんまりよくはないらしいが、いざとなればスチールのたわしで焦げ付きをやっつけることも可能だ。

 料理をする前に空焚きする(テフロンのフライパンでは厳禁)。煙が立つまで熱する。中華料理の調理人がよく中華鍋でやるように、油を流し込んで、さっとフライパンの上でまわして捨てる。ここらへんでうおっしやっぞお、と戦闘的な気分になってくる。適量の油を落として、ガンガン炒める。強火でいけるので野菜もシャッキリする。炒めたものを皿に移したら、すぐに湯で汚れを落とす。亀の子だわしでガシガシ行く。ガンガン、ガシガシ、と全体的にガの字方面で行けるのである。

 しまう前には、裏表に油を塗る。フライパンが光沢を帯び、とてもきれいだ。眺めていて、何かこう、シヤワセな気分になる。鉄のフライパンは「育てる」と聞くが、その感覚はわかる。子育ての喜びに似ているのかもしれない。

 鉄のフライパン派、略して鉄パン派、あるいは鉄パニストを名乗ろうと思う。