ちょっと気取って書け

 丸谷才一の「文章読本」には、「ちょっと気取って書け」という主張が載っている。

 幼い頃から素直でよい子だった私としては、言われたからにはやらねばならぬ。以下、今日はちょっと気取って書いてみる。わかりやすいように、気取ったところには(T)と記す。

 特に書くこともないので、顔をしかめながら(T)ふと(T)テーブルまわりを眺めると、置き時計があった。コチコチ、と一秒ごとに秒針が正確に6度の角度でもって動いている(T)。思えば、我々の人生は、この6度ずつの角度でもって正確に終わりへと向かうのである(T)。この流れから逃れられたものは(T)、伝説の類を除けば、ひとりとてない(T)。死への6度ずつの歩みが、(←この読点、特にT)生である(T)。

 そう考えて、フッとひとり軽い笑いを浮かべた(T)。笑いにはいろいろの種類があるけれども、この軽い笑いは何であろうか(T)。冷笑に近いが、わたしは人生を嘲笑っているわけではない(T)。自嘲ともちょっと違う。いくらかは照れが混じっているのやもしれぬ(T)。

 庭に目をうつすと、木の幹を一匹の蟻がつたい降りている。何かを運んでいるのかどうかまでは見えない(T)。登っていく二匹の蟻とすれ違ったところを見ると、彼の目的地には餌があって、いくらかは労が報われたのだろうか(T)。蟻というのは見ていて飽きない。それはおそらく、蟻そのものの面白さというより、彼らのおそらくは本能的な集団行動が人間のそれと似通って見えるからなのだろう(T)。引いて眺めれば、彼らが抱いているであろう(T)喜びも悲しみも遠のいて(T)、右往左往する個々の/全体の動きの面白さばかりが立ってくる(T)。それを、(←この読点もT)人間の場合は「人間模様」とくくって呼ぶのだ(T)。

 ここまで書いたところで、湯が沸いた(T)。午後のコーヒーをいれようかと思う(T)。

 ……凄え。ちょっと気取って書くと、どんどん文章が出てくる。しかし、気障ったらしくて、書きながら笑ってしまう。気恥ずかしくて、身をよじりたくなる。

 ちょっと気取って書くのはダメ。わたしには無理。赤面しながら書きたかないよ。

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)