お座敷飛行機の夢

 昨日も書いたが、わたしは飛行機があまり好きではない。「逃げられない」というのが根本的な理由なのだが、もう少し細かく見ると、長時間、椅子に座っていることの不快さが大きいように思う。

 わたしはどういうわけだか椅子にずっと座っているということが苦手で、ガキの時分からそうだった。学校時代は、脚を組んだり、ずるずると腰を前のほうにずらして半ば寝ているような姿勢を取ってみたり、横座りしてみたりと、いわゆる「落ち着きのない」生徒であった。

 大人になってからはいくらかマシになったが、それでも映画館や観劇で2時間も座っているとうんざりしてくる。鑑賞の楽しみがそのせいで減殺されて、何だか損な気がする。家ではもっぱら畳暮らしだ。座椅子はあるが、椅子はない。

 そんなだから、お座敷列車はあるのに、なぜお座敷飛行機はないのか、と思う。全員寝っ転がってアメリカなりヨーロッパなりに運ばれるのだ。船だって、三等席は雑魚寝の場合が多い。あの方式のほうが気楽でいいように思うのだが。

 まあ、もちろん、お座敷方式だといろいろ問題はある。離陸・着陸時にシートベルトしないと、一番前から一番後ろへ、あるいは一番後ろから一番前へ、わーっと大量の材木が転がるように人間が転がるハメになる。畳にシートベルトというのも様にならないし、踏んづければ痛い。何かよい仕掛けを考えねばなるまい。

 航空会社からすると、椅子方式のほうが狭いスペースに大勢載せられて儲かるだろう。そこらへんも材木の運搬と変わらない。寝そべるんだから、その分、天井を低くして階数を増やしてもいいが、トイレに行くのにいちいち匍匐前進というのもいろいろ不都合だろう。ま、通路がいらなくなる分(もちろん、人を跨いで移動するのだ。難民方式である)、いくらかスペースは余計に確保できるが……。積載人数の問題は、結局、客単価の問題に行き着くが、わたしならいくらか高くったって、お座敷方式のほうがいい。

 何かこう、一蓮托生感というか、熱海宴会ま、ま、おひとつ風になって、いいように思うのだが。やっぱ、ダメですかね?