道具と心持ち

 ゴールデンウィークの間はだらだらと過ごしていた。

 パソコンを立ち上げるのは土曜日にこのブログを書いたとき以来で、5日ぶりということになる。普段だと、他のことをしていても、仕事関係のメールが入っているんじゃないかなどと心せく感じがあるから、パソコンというものを全く気にしない日々というのは平穏でよい。

 パソコンは便利な道具だと思う。画数の多い漢字を手で書かずに済むし(これは実にありがたいことである)、図表だの何だのを割に簡単に作成できる。メールだのウェブだのでコミュニケーションも取れる。いろいろなことを素早く行える。

 しかし、その素早さにはどこか麻薬的なところもあって、知らず知らずのうちに中毒となっているところがあるようにも思う。

 何しろ短期的な欲望をつつくということには抜け目ない世の中であるから、こういう道具の進歩は素早い。しかし、少し引いたところから見てみると、中長期的な幸せに結びついているのかしらん、と思う。

 じゃあ、パソコンなしでやっていけ、と言われると、仕事の関係もあってなかなかそうはいかんのだが。否応なく巻き込まれざるを得ないという点では、グローバリズムにも似てますね。あれも短期的な欲望の追求の結果ではある。

 ……などと書いてから、メールソフトを立ち上げてみたら、休みの間のメールが700通、そのほとんどが迷惑メールだ。短期的な欲望の追求の結果は恐るべし。