自転車の記憶

 母親が子ども二人を自転車に乗っけて走っている光景を、時折見かける。サドルの手前に1人、こっちは小さい子ども。荷台に当たるところに1人、こっちは大きいほう。そうやって幼稚園のお友達やなんかの話をしながら母子が自転車に乗っている姿は、なかなかにいいものである。それだけでお銚子一本はいける。

 母親は偉いなあ、大変だなあ、とも思う。買い物か何か行くにも子どもを家に放っておくわけにもいかず、連れていかねばの娘なのだろう。2人も運べば、足にはだいぶ乳酸も溜まるだろうと思う。

 しかし、見ていて、危なっかしくもある。転んだりしないのだろうか。あるいは、漕ぎ出したとき、ヨロリと来て子どもたちを放り出したりしないのか。自転車というのは、だいたい、漕いでいる側よりまわりから見ている側のほうが心配になる(クルマを運転して、脇を自転車が併走しているときのことを思い出してみてください)。

 わたしは高校時分くらいまで自転車に乗っていて、今思うと、無意味にそこらへんをかけずり回っていたように思う。休みの日なんか、特にやることがないと、自転車に乗っては、県境まで行って戻ってくる、なんていうことをしていた。乗っていたのはロードレーサーとかMTBとかそんなカッチョのいいものではなくて、いわゆるママチャリである。田舎だったので、田園風景のなか、バイパスの自動車の排気ガスを胸いっぱいに吸い込みながら走った。しまいには頭痛がしてきて、ふらついた。健康的だったのか、不健康だったのかよくわからない。

 でもって、よくコケた。坂道を全速力で駆け下りて、そのままわーっと放り出されたり、車道の中央分離帯を無理矢理乗り越えようとしてひっくり返り、クルマに轢かれそうになったり、なかなかにデンジャラス・ボーイであった。ママチャリだったけど。前に白い四角い駕籠がついていたけど。つまりは馬鹿だったのである。

 自転車を漕ぐと何か特別な脳内物質でも出るのだろうか、高揚感というか、軽いヨッパライ感覚というか、常軌が逸の字になる気もする。子ども2人乗せて走る母親の皆さん、ふと挑戦したくなっても、坂道を全速力で駆け下りたり、中央分離帯を無理矢理乗り越えたりしないでくださいね。