マルクス主義史観的水滸伝

 相変わらず水滸伝を読んでいる。とても楽しい。

 水滸伝は108人の豪傑が湖の中の要塞化した島、梁山泊に集まり、天下を相手に大暴れする、というお話である。後半に入ると、逆に朝廷から官軍のお墨付きをもらい、異民族(もちろん、漢民族から見ての話)や反乱軍と戦うというお話になる(まだそこまで読み進んでいないが)。

 高島俊男水滸伝の世界」によれば、建国〜文化大革命期の中華人民共和国では、水滸伝マルクス主義的に捉える、ということがなされたそうだ。例えば、こんなことが書いてある。

従来盗賊の群を描いた小説であった水滸伝は、人民共和国では、にわかに「農民起義」を描いた「偉大な英雄史詩」ということになった。どうして急にこういうことになったかというと、毛沢東がその「中国革命と中国共産党」で「秦の陳勝呉広項羽劉邦からはじまって……唐の王仙之、黄巣、宋の宋江、方臘を経て、清の太平天国にいたる、総計大小数百回の起義は、すべて農民の反抗運動であり、革命戦争であった」と言っているからであるらしく、毛沢東は小説水滸伝宋江ではなく歴史上実在の宋江のことを言ったつもりだったのであろうが、そこのところがごっちゃになったまま、梁山泊の百八人は農民革命軍である、という評価がさだまってしまったのである。

 建国後しばらく、人民共和国では水滸伝万歳の時期が続き、水滸伝を革命讃歌として「学問」的に裏付ける試みもなされた。例えば、王利器という老学者が「豪傑たちのアダ名をすべてマルクス主義でもって解釈しようという野心的な試み」をしているという。「黒旋風」李逵、「小旋風」柴進のアダ名に共通する「旋風」について、王先生は「それは金国(宋の時代に北方にあった異民族国家)の大砲である」と説く(「水滸伝の世界」からの孫引き)。

「旋風」は金軍の大砲であり、その金軍は中国の神聖な領土に侵入した異国の侵略軍なのであるから、「黒旋風」「小旋風」というアダ名は、「敵の武器をもって敵を討つ」という、人民の反侵略闘争の政治思想を表現したものだ、と言うのである。

 実にもって、恐るべき洞察力である。水滸伝にそんな深い政治思想が隠されているとは、間抜けなわたしはとんと気づかなかった。

 1960年代後半に入ると、人民共和国は文化大革命の時代に入る。1975年には中国共産党によって「水滸批判」なるものが行われたそうだ。

「水滸批判」以前、共産党水滸伝に対する評価ははっきりしていた。梁山泊は農民起義軍である。その領袖宋江はすぐれた革命指導者である。水滸伝は万古不滅の革命史詩であり不朽の傑作である。
 それが「水滸批判」以後はこうなった。梁山泊は農民起義軍である。しかしその首領宋江は投降派、裏切り者であり(稲本註:宋の朝廷から官軍のお墨付きをもらったことをいう)、最も憎むべき悪党である。水滸伝は投降主義を鼓吹した、憎むべき、悪質な文学作品である。……すなわちそれは、御用文人施耐庵が反動統治階級の御用をうけたまわって製造した大毒草であり、かつまた歴代にわたって人民の革命の闘士を麻痺させてきた腐蝕剤なのである。

 わたしの読む限り、水滸伝はあくまで乱暴者達が運命に操られつつ豪快に暴れ回る物語であって、農民革命や、反侵略闘争の政治思想を描いた革命史詩とはとても思えない。

 昨日、書いた高校時代のH先生もそうだが、マルクス主義方面には、事実を理論で分析するのではなく、理論に事実を(時に強引に)合わせようとする傾きがあるように思う。「自由主義」にどっぷり浸かったわたしからすると、そうした強引さは滑稽に映る。

 続きがあるのだが、長くなった。また今度書きます。

水滸伝の世界 (ちくま文庫)

水滸伝の世界 (ちくま文庫)