H先生のこと

 たいていの人には、学校時代、妙に印象に残っている先生がいるものだと思う。

 わたしにとっては、高校時代の世界史のH先生がそういう人であった。H先生は顔が戸塚宏に酷似していて、人相見というものが当たるのかどうかわたしにはわからないけれども、戸塚氏と同じくスパルタのところがあった。

 この人はマルクス主義の熱烈な信奉者であって、今の日本なら奇人の部類に入るのかもしれないが、わたしの高校時分はまだソ連邦も存在していたし、マルクス主義はなかなかの勢力だった。

 H先生は、マルクス主義史観で貫いて世界史を教える、ということをやった。何しろ、歴史の始まりを原始共産制社会から説き始めるのである。H先生によれば、人類の黎明期は互いに協力し合って労働し、得た成果を平等に分配する美しい社会だったという。ところが、そこに財産権なる概念が生まれ、貧富の差が発生し、人類は迷走を始めたそうである。

 あるいは、フランス革命についてはこんなふうに教わった。民衆が立ち上がって絶対王政を倒したことは、階級闘争として誠に結構なことであった。しかし、財産権の不可侵を認めたことは非常に残念であり、革命として中途半端に終わった由縁である、云々。

 そういう授業を受けて、では、クラスにマルクス主義がはびこったかというと、そういうことはなかった。心中何らかの影響を受けた者はいたのかもしれないが、少なくとも表面上は、よっしゃ階級闘争だ、まずは職員室あたりから攻めてみるか、ということにはならなかった。

 わたしはというと、H先生があんまり民衆、民衆、階級、階級と言うので、いささかげんなりし、同時に何かうさんくさいものを感じた。現代の枠組み、物の見方で過去を批判するのはよほど気をつけなければならないと思う。例えば、平安時代に権利の概念はあったのだろうか、あったとしても現代の権利の概念とはすこぶる違っていたんではないか、あるいは万葉の詠み人知らずの皆さんは婦人参政権というものを考えることができただろうか、飛鳥時代の人々が味噌汁にジャガイモを入れなかったからといって批判していいものだろうか、とまあ、当時三国一の美少年だったわたしがそこまではっきり言葉で考えていたかどうかは覚えていないが、そんな類の疑問は抱いていたと思う。

 それぞれの社会なり、時代なりにはそれぞれの物事の捉え方や価値のありようというものがあるのであって、その違いをわきまえずに他から立ち入ったことを言うのはいかんのではないか、というようなことを、H先生は反面教師として教えてくれた教師だった。