西洋型学問の成立条件について

 ここから一気に飛躍するのであるが、もし、西洋型の学問体系が、西洋ではなく、日本で最初に始まったら、どういうふうになったであろう。例えば、数学は学問の礎とも言われるが、昨日触れたピタゴラスの定理の証明は、次のようになったんではないか。

はじめに、三角形 ABC を角 C が直角ぐらいであるような直角三角形みたいにしておいて、角 A, 角 B, 角 C の対辺の長さをそれぞれ a, b, c なんかにしておく。

頂点 C あたりから斜辺 AB あたりに垂線を下ろし、その足を一応、 Hなんかにしたりして。三角形 ABC と三角形 ACH と三角形 CBH は全て相似っぽい。 よって、三角形 ABC と三角形 ACH の相似比みたいなのを見ておくと

               AC×AC b2
AC:AH=AB:AC→AH=―――――=―
                AB   c

とかで、似た感じで三角形 ABC と三角形 CBH の相似比とかより

   a2
BH=―
   c

みたいな。 従って、

           b2 a2
c=AB=AH+BH=― + ―
           c   c

のような気がするから、何となく両辺にcをかけてみると


2+b2=c2


を得るような気がしないでもない。

 これでは、学問の体系的発展というのは望めない。学問が成立するには、何かこう、物事に対する態度とか、姿勢とか、あるいは信仰のようなものが大いに作用するような気がするのである。言葉による表現の根っこにあるようなものが大事というか。私と相手(対象)の関係をどう厳密に区切るかとか。何となくだけど。