日本語の文法用語の不統一

 こうやってまとめる作業をしながら感じたのは、日本語の文法用語が混乱していることだ。

 例えば、

昨日の夕方、外出した。

いい天気だったので、外出した。

 という文で、「昨日の夕方」と「いい天気だったので」を、文の中の要素として何と呼ぶか。どちらも「外出した」にかかるので、修飾部と呼ぶ人々がいる。しかし、学校文法の「文の成分」では、「昨日の夕方」は修飾部、「いい天気だったので」は接続部と呼ばなければならない(さらには修飾部と修飾語、接続部と接続語を文節の数によって区別する場合もあれば、修飾語・接続語にまとめてしまう場合もある)。

 仮に両方とも修飾部と呼ぶとしても、

暇ができた僕は、外出した。

 という文の「暇ができた僕は」を何と呼ぶのか。これも「外出した」にかかるので「修飾部」と呼ぶ人もいれば、そうではなくて「主部」と呼ぶ人もいる。「昨日の夕方」「いい天気だったので」「暇ができた僕は」をひっくるめて、文句の出にくいまとめ方をするなら、「述語にかかる部分」だろうか。しかし、こんな言い方では普通の人にパシンと伝わらない。

「昨日の夕方」「いい天気だったので」「暇ができた僕は」を連文節と呼ぶ考え方もあるが、連文節という言葉はあまり一般に普及していないだろう。また、連文節という用語についても、

夏休みになった弟と妹が、外出した。
夏休みになった弟と妹が、外出した。

「弟と妹が」だけを連文節と呼ぶ学校教科書もあれば、「夏休みになった弟と妹が」も連文節と呼ぶ学校教科書もある。

 実にどうも困ったもので、こうした用語の不統一は、文を論理的に把握する教育の妨げになるのではないかと思う。