やはり困ること

 例によってのとりとめない話題なのだが、山下清画伯をモデルにした「裸の大将放浪記」は多くの人に愛されている。現代における一種の伝承・伝説と言ってもよい。昔に別れた恋人の顔は思い出せなくても、ランニングシャツにリュック姿で全国を歩き回る芦家雁之助の姿ならすぐ思い出せる人も多いだろう。

 しかし、もしあれが、

裸の大将放浪記

 であったら、どうだったであろうか(もちろん、リュックだけはかついでいるのである)。やはり、関係各方面いろいろと困ったんではないか。わたしも何となく困る。まあ、どちらかといえば、「全」の字のついたほうが、警察等の追跡劇も含めて、ドラマチックな気もするのだが。

「裸」は愛され、「全裸」は嫌がられる。では、「裸」と「全裸」の何が違うのか。いや、もちろん、裸は必ずしもすっぽんぽんというわけではない。しかし、すっぽんぽんでなくて、

裸の大将放浪記

 であっても、やはり、困る気がするのである。

 これだけ印象を変えるのだから、言葉に付着した手垢というのは大したものだと思う。