デルス・ウザーラと自然との共生

デルス・ウザーラ モスフィルム・アルティメット・エディション [DVD]

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 何年ぶりかで「デルス・ウザーラ」を見た。見る度にヤラレる。

 黒澤明監督が旧・ソ連で撮った映画で、シベリア老いた猟師デルス・ウザーラが主人公。20世紀初頭、ロシアのシベリア探検隊と出会った先住民デルス・ウザーラが道案内を引き受ける。美しくも厳しい大自然の中で生きるデルス・ウザーラの知恵と魂、育まれる探検隊との友情、そして悲劇……。

 ――まとめるとそういうストーリーなのだが、自分で書いていて、「あらすじにすると空々しいなあ」と思う。何かの原案を書いている県庁の役人にでもなった心持ちがする。これはもう、映画を見てくださいというほかない。

 純粋、という言葉も空々しいが、デルス・ウザーラの清さに、わたしは涙腺破壊されまくりであった。デルス・ウザーラと探検隊長アルセーニエフが、別れに際して遠くから互いの名を呼び合うシーンは、映画史に残る美しさだと思う。

 とまあ、わたしの涙腺についてのご報告はここまでで、ここからはいささかヨコシマな心も交えて書く。

 こういう映画を見ると、軽々しく「自然との共生」などと言ってはいかんな、と思う。

 デルス・ウザーラは確かに、自然と共生して生きているように見える。無駄に動物を殺さず、わずかな自然のサインから天候や季節の変化を知り、自然の猛威を畏れ、動物、水、火、風、太陽、月を全て「人」と呼ぶ。

 しかし、それができるのは頑健な体とタフな精神に支えられているからであって、また、自然の中で生きるには、自然の残酷さも受け入れなければならない。デルス・ウザーラには妻子がいたが、みんな天然痘で死んでしまった。村も壊滅したらしい。デルス・ウザーラはたった独りの生き残りである。あまり詳しくは書けないが、最後、デルス・ウザーラ自身も、老いによって残酷な仕打ちを受ける。

 思うに、今、しばしば耳当たりのいい言葉として使われる「自然との共生」というのは、おおよそ飼い慣らされた自然のことであって、それも相手がおとなしくしてくれている間だけだろう。満腹の虎に安心しているようなものだと思う。

 例えば、わたしのような惰弱な人間は本当に自然と共生しようものならあっという間に死んでしまうだろうし、乳幼児の死亡率が上がるようなことも受け入れられない。

 まあ、「自然との共生」なる言葉のイメージで遊ぶのは楽しいことだけれども、あくまでイメージで遊んでいるだけである、ということはわきまえておいたほうがよいように思う。

 たいていの人間は弱いのだから、「自然との共生」ではなく、「自然との共存」がせいぜいのところだろうと思う。自然に対して、あるいは人間の弱々しさについて、そのくらいの謙虚さは必要だと思う。