源氏物語は、「一度は読んでおくべきものでは」と、だいぶん前に谷崎潤一郎訳を読んだきりだ。
なかなかしんどい読書で、ところどころああはれと感じるところもあるのだが、全体的には「忍」の一字だった。谷崎訳は流麗ではあるのだが、持って回った言いまわしが多く(原文がそうなのだろう)、歌もよく理解できず、読んでいてイライラした。
誰だったか国文学者の現代語訳した源氏を読んでみたこともあるが、こちらは逆に教科書的直訳調で、そっけなく、途中でつまらなくなってやめてしまった。
以来、おれには源氏を理解する素養がないのだなあ、と、涙にくれながら須磨のわび住まいを送っていた。
しかし、谷崎潤一郎の「文章読本」によると、昔から源氏嫌いの人達は結構いたらしい。こんなことが書いてある。
一体、源氏と云う書は、古来取り分けて毀誉褒貶が喧しいのでありまして、これと並称されている枕草紙は、大体において批評が一定し、悪口を云う者はありませんけれども、源氏の方は、内容も文章も共に見るに足らないとか、支離滅裂であるとか、唾棄を催す書だとか云って、露骨な悪評を下す者が昔から今に絶えないのであります。そうして、それらの人々に限って、和文趣味よりは漢文趣味を好み、流麗な文体よりは簡潔な文体を愛する傾きがあるのであります。
例えば森鴎外は、あのような大文豪で、しかも学者でありましたけれども、どう云うものか源氏物語の文章にはあまり感服していませんでした。その証拠には、かつて与謝野氏夫婦の口訳源氏物語に序文を書いて、「私は源氏の文章を読む毎に、常に幾分の困難を覚える。少くともあの文章は、私の頭にはすら/\と這入りにくい。あれが果して名文であろうか」と云う意味を、婉曲に述べているのであります。
何だかお墨付きをいただいたみたいで、うれしい。森鴎外も、やはり源氏を読みながらイライラしたのであろうか。
関西で言ういわゆる「イラチ」の人は、あまり源氏物語を好まぬのではないかと思う。谷崎潤一郎によれば、源氏派と非源氏派は、朦朧派と明晰派、だら/\派とテキパキ派、流麗派と質実派、女性派と男性派、情緒派と理性派と呼べるのだそうだ。
これは感覚の相違と云うよりは、何かもう少し体質的な原因が潜んでいそうに思われますが、(中略)かく申す私なども、酒は辛口を好みますが、文章は甘口、まず源氏物語派の方でありまして、若い時分には漢文風な書き方にも興味を感じましたものの、だん/\年を取って自分の本質をはっきり自覚するに従い、次第に偏り方が極端になって行くのを、如何とも為し難いのであります。
少なくともわたしの場合、なかなかあの文章世界に入り込めない。如何とも為し難いのであります。
- 作者: 谷崎潤一郎
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